第53回 受賞 (2002/03/04)
息子の所属するハイスクールでは、毎年3月にオルカ・フェスタという学園祭が開かれる。普通の学校とは違い、生徒は全国に散らばっていてなかなか集まるのも難しいが、オルカ・フェスタはその数少ない機会だ。
オルカ・フェスタでは、生徒は自分や共同で製作した作品を発表展示する。研究発表やビデオ、絵などの展示のほか、踊りや歌の発表などもある。こうした点はありふれた文化祭とかわりはないが、このスクールではインデペンデント・ラーニングといって、自分で目標を決めそれを達成することが重視され、何かを創作することが特に大切にされている。
やけどを負ったのはスクールの入試面接のときで、入試の合格を知ったのが、病院のベットの上で「病の細道」を書きはじめたちょうどその日だった。息子にホームスクールという学びの形態を選択し自分がホームティチャーとしてサポートすることになったときに病に倒れた。
病状は予断を許さず、最悪の場合も考えなければならなくなった。残された時間のなかで息子に何を教えておくべきか? 息子はまだ中学校に通っていたが欠席させ、ベッドの傍らで英語や数学を教えた。やがて「病の細道」も回を重ねたのでCDにまとめておくことにした。
このCDの製作にあったては、HTMLのレイアウト、題字のレタリング、ジャケットのデザインを彼に担当させた。HTMLエディタや画像処理などのツールの使い方を教えることはもちろん、モノを創り出すことの大変さや大切さ、よろこびを体験させたかった。こうしたことを直接指導できるのがホームスクールのよいところだ。
自分と息子のノートパソコンをLANのクロスケーブルで結び、データを移して処理すべき課題を与え、家にもって帰ってやらせた。すこしずつ形を成してきたころにオルカ・フェスタの通知が来た。自分は東京まで行けないので出席できないが、息子には「病の細道」を出品して一人で行くように促した。それから3週間。やっとCDは完成した。思った以上の出来栄えだった。
いままで息子とはいろいろなところを旅してきたが、彼にとって本格的な一人旅ははじめてだ。2泊3日東京への旅。学生なので格安航空券とカプセルホテルで貧乏旅行。といってもいつもの旅もそうだからとくに心配はなかった。とにかくいろんな友達に会って、楽しんでくるようにいって送り出した。息子はオルカよりも秋葉電気街に寄れることのほうがうれしそうだった。
オルカ・フェスタの終わった夕方、たまたま帰宅しているところに電話がはいった。「病の細道」が学長賞をもらったという。また嘘つきやがって、今日は桃の節句でエイプリルフールじゃねえぞ、などと思わぬことに当惑し「おめでとう」もいってやれなかった。
自分の知識や経験を子供に伝えていく。病床にあって動けぬ身であっても、そのことを教材にして教え学ぶことができる。教育の自在さ、そして楽しさ。身近なものに教育の原点があった。ハイスクールに入って2ヶ月たらず。子供ばかりではなく、自分もそのことを教えられた。
学長賞にいただいた記念品は二頭の親子のオルカをデザインしたティファニーの純銀製ペンダントだった。親子がパートナーとして製作した「病の細道」CDを象徴しているようでうれしかった。
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