第23回 病室 (2002/01/16)
昨日病室を引越した。今回で2回目。これで3ヶ所の病室を体験したことになる。最初は、病室なんてどこでも同じじゃん、と思っていた。
ところが入院も25日を過ぎると見えなかったものも見えてくる。最初の病室はナースステーションのすぐ隣の部屋でしかもベッドは直通ドアのすぐ脇にあった。4人部屋で、検査機器もすぐに持ち込めるようになっていた。1週間ほどして隣の部屋に引っ越した。今度は6人部屋で、これが標
準らしくほとんどの病室がこのタイプになっている。
昨日移った部屋はさらに隣の場所。ナースステーションからさらに遠くなった。つまりナースステーションからだんだん離れてきたわけだ。あきらかに様子が違うのは元気な患者が多いことだ。
最初の部屋はもうみんな寝たきりで風呂やシャワーに行くこともほとんどない。次の部屋は寝たきりの人が多かったが割と病状が安定していて、毎日、車椅子で娯楽室に行ったり、数日おきに風呂にもいっていた。そして今度の部屋では車椅子を世話になる人はいない。みんな割と自由に過ごしている。
確認したわけではないが、こんな風に部屋の割り振りが行われているらしい。自分もそこそこ病状が安定してきたということだろうか。それにしても入院したときには、最初の部屋で自分がいかに危機的で深刻な状態にあったか、今思うと恐ろしい。一晩家族の付き添いを求められたほどだから、危篤といってもよかったのかもしれない。
もっとも本人は全然そんな危機感は自覚しておらず、新しい旅だ、などとのんきなことを考えていた。もし精神的なダメージが大きければこんな旅メールなど始める元気も出なかったに違いない。
看護婦さんたちの笑顔や冗談が気持ちの重さを緩和してくれた。医師とではどうも話が深刻になりがちだが、彼女たちの対応は本当にうれしい。
それと今回は、自分の耳が遠いこともよかったかもしれない。医師との話でははっきり聞こえない部分があっても面倒くさくての適当にうなずいていたが、考えてみれば、深刻なはなしになればなるほど声は小さく低くなりがちだから聞こえないというのもかえってよかったのかもしれない。
聞こえないよりきこえたほうが、見えないより見えたほうが、遅いよりも早いほうが、知らないよりは知っているほが、お金は少ないよりも多いほうがいいに決まっている。でも本当に決まっているのだろうか。
ヒッチハイクをしていると必ずしもそうではないことをよく体験する。短時間でヒッチした車がすぐそこまでしか行かなかったり、逆にさんざん待って乗った車では食事もおごってもらったうえに目的地まで送ってもらったり、時には泊めてもらったり。土地を知らなかったが故にいろいろなものをみることができたり。
早く安く行くことばかりを目的としたヒッチハイクでは本当のヒッチのおもしろさは味わえない。
知らぬが仏。万事塞翁が馬。これも人生の知恵か。
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