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病の細道

 

第21回 歩行訓練 (2002/01/14)

 

足の裏のやけどの傷はだいぶ肉が盛り上がってきた。自分からは直接見えないので、消毒時に包帯がとれたときに、毎日、デジカメで写真を撮っている。すぐにパソコンに転送して前日と比較する。

赤くしっかりとした肉片が再生しはじめている。まだ黄色く膿がでて死んでいく部分もあるが、おととい外科の処置をうけ取り除いてもらった。後は回復を持つだけ。歩行の禁止も解除された。もちろん傷口を圧迫しないようにという注意もあった。

昨日、さっそく歩行訓練をしてみた。広く人のあまりこない場所まで車椅子で移動した。手すりを頼りに立ち上がりしっかり立てるかを確認した。20日あまりをベッドの上だけで過ごしほとんど立ち上がることすらしてこなかったのでやはり少し頼りない。

手すりにつかまりながら歩いてみた。足をひきずりながらだから、ほんとうにゆっくりとしか歩けない。でも案外大丈夫だった。すこし不安はあったが、手すりがなくても歩ける。
ただバランスをくずした時などは体勢を立て直すことは難しそうだ。転んだらヤバイ。

椅子に座って立つ訓練もした。座ったり、立ったりするときにはバランスをくずしやすい。何回か繰り返しているうちに思ったよりできるようになった。しかし怪我があるので普通というわけにはいかない。

こうしてみると、普段あたりまえのように歩いたり、座ったりしていることがいかにスゴイことなのかよくわかる。二足歩行というのは人間の特質といわれるが納得する。ロボットだって二足歩行は難しいのだ。

今回、最悪のばあい足を切断しなければならなくかもしれない、と言われたときには詩人のランボーみたいだなとのんびり考えていたりしたが、今にして思えばとても深刻なことだった。

歩ければ、一歩一歩の積み重ねでどこまでも動ける。旅だって気軽にいける。しかし世界中どこにでも行けるかというと、これがなかなか難しい。もちろんエベレストや極限の地域などは別格だ。観光旅行に限っての話だが、いくら金と時間と体力があってもその地域の情勢が厳しければやはり行けないのだ。

中国を経由してベトナムに行くのに20年待った。ベトナム戦争が終わってしばらくして中越紛争があり国境が閉鎖され開かれるまで長い年月を要したのだ。イスラエルを訪れたのはオスロ合意の成立したつかのまの平和な時だった。今のイスラエルは混乱の最中だ。

自分は世界で行きたいと思っていたところにはほとんど行ったが、ただひとつの例外はアフガニスタンだ。20年前に行っておくべきだったとつくづく思う。今後、観光でアフガンにいけるようになるまで何十年もかかるだろう。その時、自分はもう生きていないだろう。

旅は行けるときに行かなければならないのだ。 

 


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