第20回 老化 (2002/01/13)
昨日、聴力検査をうけた。とくに今回の病気とは関係がなかったのだが、せっかく入院していることもあってこちらからお願いした。以前にも書いたようにさいきん耳が遠くなってきたのだ。
自分では飛行機によく乗らなければならないことも関係しているのではないか、と思っていた。飛行機に乗った後はいつもに聞こえが悪くなるからだ。
検査はヘッドフォンのような器具を耳に付け、いろいろな大きさの音を出してそれが聞こえたらボタンを押す、という原理とすれば簡単なものだった。しかし痛いとか苦しいというのではないが、神経を集中させる必要があるためかなり緊張を強いられる検査で途中で呼吸を整えさせてもらわなければならないほどだった。
検査結果も単純なものだった。原因は老化。飛行機は一時的な現象で直接関係ない、というものだった。低音から高音のすべての帯域で聴力が落ちていた。神経の老化に対しては治療法はなく、いずれ補聴器が必要になるといわれた。
そういえば同年代のクリントン元米大統領も補聴器を付けていたから、耳の悪いひとも案外多いのかもしれないが、自分の回りでは、聴覚に問題のある人は年上でもそんなにいない。その点、老化といっても自分の耳は運が悪いような気もする。
しかし、季節が変わるように、いつのまにか髪は白くなり、目も悪くなり、筋力も衰え、運動神経もにぶくなっている。いまや若さのおもかげもない。さらに衰えることはあっても、もう戻ること
はない。これが老化ということなのだろう。
これまでは何となく40代の惰力でやってきたが、昨日の検査で自分が老齢の域にはいったことをはっきり自覚した。これからは生活や仕事、旅行のしかたも今までとは変えなければならない。
できないことを無理してやってもどうにもならない。もう体力勝負はできない。あらたに獲得できる能力はない。限界を知り自分に残された能力をいかに活かすかだけを考えなければならない。見方によっては、これからが本当の旅のはじまりなのかもしれない。
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