第18回 生活習慣病 (2002/01/11)
糖尿病は生活習慣病というのだそうだ。たしか以前は成人病などともいっていた。どちらにしても変な呼び方だ。自然な名前ではなく、どこか陰謀めいたものさえ感じる。厚生省(最近、名前が変わった?)が名付けの親ともなればなおのことだ。
そもそも生活習慣のない人などいるのだろうか? どんな人だって日々の生活の繰り返しのなかでのれなりの習慣はできてくる。非日常的な旅のときですらそれなりのパターンはできる。とすれば生活習慣自体が病ということにはならない。
結局は生活習慣を良い習慣と悪い習慣と二分して、悪い習慣をつづけていると生活習慣病になるという理屈なのだろう。では良い習慣とは何か? 悪い習慣とは何か? 朝早くおきるのが良い習慣で夜型生活は悪い習慣なのだろうか? 一日3食たべるのが良くて、2食や4食は悪いのか? 不規則な食事はよくないといわれるが、そもそも「不規則」な食事は「習慣」といえるのだろうか?
仮に、良い習慣と悪い習慣とをわけることができたにしろ、良い習慣だけで生活している人なんているのだろうか? そしてその人は病気にならないなんて保証はあるのだろうか? 悪い習慣をどれだけつずければ病気になるというのだろうか?
確かに、タバコをつづければ肺がんになりやすくなるだろう。飲酒をつづければ肝臓をわるくするかもしれない。しかしこうした例は因果が統計的に示されている。タバコとか酒とか要因がはっきりしている。
病気の原因を生活習慣などというあいまいなもののせいにするのはとても科学的とはいえない。とはいえ多くの人は「お前は生活習慣が悪いから病気になったのだ」といわれれば、後ろめたい習慣のいくつかを思い出して納得してしまう。かくて非科学的な論法がまかりとおることになる。
一般の人がいうならまだいい。しかし医者のような立場の人が、患者にこんな万能用語を使うのは問題だと思う。原因をもっと掘り下げ明確にしなくては適切な治療や、ましては生活指導などできないのではないか? 習慣を変えなければならないとしたら何をどう変えなければならないか、そしてそれがどういう効果をもたらすのかはっきりすべきではないか。
ある人によると、「生活習慣病」という呼び名は、特定の病気を個人のせいにして国の保険制度から除外して赤字を解消するための布石ではないか、という。なるほど役人の思いつきそうなことだ。
厚生省の役人は医者や科学者でもないのに勝手に都合の良い医学用語をつくる。例えば「麻薬」がそうだ。あへんと覚せい剤、大麻など全く効きかたや性質の違うものをひと括りにして同じようなものとして扱っている。あへんに中毒することはあるが大麻に中毒することはない。アルコールやタバコに中毒することはあるがそれらを麻薬とは呼ばない。何とも恣意的で都合のよい用語なことか。
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