ビルマ(ミャンマー) (07)
マンダレーはどんなところかというと、ラングーンよりずっと小さく田舎町でした。
有名なパゴダがあって、それ以上はよくわかりません。高田さん達はよくわかってるかというとこれもそうではないみたいで、定番の観光地数カ所、マーケットを回って終わりです。
ラングーンもそうでしたがマンダレーは輪をかけて、西洋風のもののないところでした。多分ラングーンにもないと言うことはビルマ全土にないのでしょうがコーラ類は一切なし、テレビ放送も白黒で、映画もヨーロッパとかアメリカのものはなし(だと思います、映画の看板はビルマ風というか、タイ風というかアジアン風のものしか目にしませんでした。)
昼飯時、屋台で日本語をしゃべるおじさんに話しかけられました。ビルマに住んではいるけども国籍は台湾だと言ってました。しきりに日本人をうらやましがっていました。
何故かというと、日本の国籍ならほとんどの国へ行くことが出来るけども、私たちは特にビルマに住んでいると、外国に出ることが非常に難しい、へたするとビルマに家族もいて何年も住んでいても、一度出国すると、ビルマに帰ってこれず、帰る場所が台湾しかなくなる可能性がある、そんなことを話してくれました。
夕方時間があいたので昼間も行ったマーケットへ、名前もチャイニーズマーケット、中華市場でしょうか、何でも売っているところです。唯一西洋の物品を除いては。象牙の製品が安そうだったので、神戸の彼女と田舎の両親用におみやげ買いました。
象牙のペンダント、2チャット、象牙のはし二組、18チャット。
夜は、どこへも行くところありません。7時前にはほとんどのお店が閉まってしまいます。開いているのは食い物屋だけ。面倒なので昨日と同じ中華料理屋へ。飯の内容は焼きめし基本、今日は、焼きそばならぬ、ヌードルスープ、それに生野菜(サラダと言うより、ほとんどトマト、プラスキュウリ)
高田さん達とは少し今後の日程を話し合いました。彼らはカルカッタに到着したらそのまま陸路でカトマンズへ、そこで二ヶ月ほどいて雨が降る前に、ロンドン行きのバスに乗ってヨーロッパへ、
私は、もし学校を卒業していたら彼らと一緒にバスに乗ったかもしれません。旅行日程は後一ヶ月も残っていません。残念ながらカトマンズ以降はインドに居れるだけいて、5月初旬日本へ帰るしかありません。マジックバス(ロンドン行きのバス)は断念です。
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