vol.013 旅の支度 (3)
2月10日過ぎると怒濤のごとき時間の流れでした。本当に一日が、ドドッと いう音を出しながら流れていました。
しまった、履修届を頼む予定の、鈴木と梅田で会う予定なのを忘れていた。
沢地くんの所へ今日行ってバンコックの情報もらう予定にしていたんだ。
阪神地下のどぶさらいのバイト料、茨木まで取りに行くことになってたんだ。
一緒に行く予定の、中島と田島と有って出発当日の予定を決めることになってた。
すべてがとても間に合いそうにはありません。とにかく目の前にある予定を消化していくだけで毎日が終わっていきます。
中島と田島は私がインドに行くという話をしたら、台湾までなら一緒に行っていいということで同行してもらうことにしました。台湾までであっても、一人よりはましです。田島は同じ下宿の住人、中島は田島の友人で彼が万博中にバイトしたレストランのコック切符は、こちらの日程にあわせて買い足してもらいました。
この頃は電話は大家の所にあるだけで緊急の時は、大家の電話に掛けてもらって大家のじいさんかばーさんがぶつぶつ言いながら、「また田森さんに電話、ほんまに」なんて呼びに来てました。私の田舎もこのときは電話はまだ付いてなかったように記憶してます。近所の雑貨屋の電話の呼び出しだったように思います。
一番の緊急連絡方法は、電報でした。そんな時に毎日アポイント忘れたり時間を間違えていたわけですから、超ひんしゅく物でした。ええーい、ナルヨウニシカナラン、そう思うしか方法がありません。多分このときパニックにならなかっ
たのはかえって電話連絡が付けにくくて、動きが素早くはできなかったためのように思います。
2月17日、ほとんどの手続きが終わりました。パスポートはある、アメリカのドルはある、切符は船と飛行機両方がある、荷物はちょっと重いけど全部そろった、靴は真新しいキャラバンシューズ、Gパンもメーカー品買った、カメラはさんざん迷ったけどオリンパスのペンD−3のみ、フィルムも買った、ガムテープも買った、ビニール袋も買った、大家にも一ヶ月先払いの家賃を払った、この日の夕方から急にやることがなくなってしまいました。この日までのあの気違いじみた忙しさがすべてなくなり、なーんもやる事がなくなったのです。
こういうときは五味川くんのお部屋が一番です。彼の部屋は下宿専属のコーヒ ーショップになってましたから、おう、と言って彼の部屋に入って黙って座っていると「コーヒー飲むか」と彼が聞いてきます。飲むに決まってますが、約束事は約束事です。
「たのんます」
五味川「何飲む、ブレンドか、モカかキリマンジャロか」
私「今日はモカ」
アルコールランプに火をつけて、サイフォンコーヒーを彼は入れ始めます。コーヒー飲んでボーとしてると、下宿のほかの連中も顔を出します。
川島「なんや、田森またここでコーヒー飲んでんのか」
私「自分も、飲みに来たんやろ、飲みたきゃこれ洗って水くんでこいや」
川島「おう」
時間つぶしにはなりました。明日から出発まで、ほとんど何もすることがないのは不安で不安でしょうがありません。そういうときは下宿の友人とダベるのが一番です。17日の夜も、18日の夜も、出発前日の19日の夜も五味川コーヒー店で午前3時くらいまで過ごしました。
20日の朝は9時には起きて、神戸港へ行く予定にしていました。前の日といっても当日の早朝、五味川君ちのお部屋でだべったあと、荷物を再点検したので寝たのは5時半でした。
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