vol.012 旅の支度 (2)
1月下旬になってからは気違いじみた忙しさでした。
船の切符は何とか手配できました。香港から先のノーマルの日本航空の切符も買いました。
忘れもしない大阪駅前の阪神航空、大阪中央郵便局の横に多分まだあると思います。沢地君がここで切符をかったというので私もそうしたのです。
この頃は海外旅行に出かけるだけでなんか超エリートになった気分になりました。わざと学校の生協食堂の公衆電話から少し照れながらでも大きな声で阪神航空に電話したのを覚えています。
「阪神航空ですか、昨日電話した田森ですが、香港カルカッタの料金いくらになりますでしょうか。あ、担当ですか、担当は鈴木さんです。ええ、男の」
当時は、TVドラマでエリートの社員役の男優は、ニューヨークとかロンドン赴任のシーンでヒロインを捨てるか、ヒロインと悲恋に終わるかで、ジエンドがほとんどでしたから、ちょっと違うカルカッタでもまあいいかと言う感じでした。
少しヒーロー気分を自分なりに感じて、気分を高揚させてました。
パスポート申請もあります。履修届も急がねばなりません。最後はもう卒業できるとりやすい学科なら何でも良いやとつじつま合わせのみで学科を選びました。どうやっても2月20日までに届けが出せない学科も2つほどありました。まだ単位が取れたかどうかがわからない科目が残ってたからで、これはもう友達に頼んで行くしかありません。この科目が単位取れてたら、これ、取れなかったらこっちの履修届でたのんます。
お金は船の切符とか航空券、リュック(キスリングともいいました)、キャラバンシューズ、コッフェル、寝袋、登山用の靴下、等を購入したので5万円くらいになってました。このときの所持品のリストを見ると、山のトレッキングとインドへの海外旅行があまり変わらない感じです。イメージも海外無銭旅行と山歩きとがごちゃ混ぜになってた様です。
5万円しかない!1$=¥360でしたから、138ドル88セント、60日 滞在するとして、一日2ドル30セント。小田実の一日1$よりは2.3倍ではありますが、時代は10年経っています。さすがにこれでは少ないのではないかと思いました。
親には、2ヶ月旅行するので、大家に前払いで3ヶ月分家賃を払わなければならないという理由で、3ヶ月分の仕送りをもらって、大家へは旅行から帰ってきたら後精算しますのでまず一ヶ月分先払いしときますと家賃を一ヶ月しか払わない。これで2ヶ月分の家賃と3ヶ月分の生活費が旅行に持っていけます。このやりくりで3万円強が手に入りましたから所持金8万円、222ドル22セント。
どうですこの錬金術。親からくすねても錬金術とはいいませんか?
兄弟と友人、同じ下宿の住人にもカンパをしてもらって(この頃はカンパという言葉はやりました)数千円、ドルへの交換手数料も必要でしたから10万円ほしいところですがこれが限界でした。9万円弱、250ドル弱、一日4ドル何とかいけるか!
この頃は500$までしか外貨の持ち出しが許可されませんでしたが、私にとってそんな金額、夢のまた夢の金額でした。
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