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田森くんは西へ Index page へ

vol.006 '70 大阪万国博 (6)

 

そのようないきさつで追加されたボーナスでした。
その日私は 25,6万万円もらった記憶があります。駅長が最後の給料はそのシフト毎に手渡しでくれました。私の順番が来て駅長、あ、こいつだと言う顔をしました。

駅長「田森くん、あ君、田森だったのか。最初からいたよな。」
私「そうです、2月からいました」  

駅長何か言いたそうでした。「あ君」の後に何か続けたそうでした。会社に便利な新人教育係だと思ってると、自分に有利な勤務場所を勝手に決めてるし、仕事が速くて正確だからまじめな学生かと思ってると、突然さぼり始めたり、自分でも解ってはいるのですが、 天性のパシリマンですから仕方ありません。コウモリとも言いますけどね。英語だとバットマン、これはちょっと意味が違いますね。

駅長「長い間ご苦労さん。」
私「ご迷惑おかけしました」

本当は、「お世話になりました」が普通ですが、ついつい「ご迷惑」 の方を言ってしまいました。表面立ててトラブルを起こしたわけでもありませんし、常に敵対してたわけではありませんで「ご迷惑」 は少しおかしかったのですが、やはりこれがピッタリでした。

駅長「いや、いや、なかなかがんばってくれて、大変助かったよ」  

さすが年の功、皮肉ではなくこの言葉すんなり聞けました。私みたいなのも2,3百人のアルバイトがいるところでは必要だったんでしょう。

駅長「君は残務整理で、まだいるんだろ」
私「ええ、後一週間はいると思います」
駅長「最後まで事故のないよう安全にやってください」
私「はい、お世話になりました」  

この日、私はおとなしくまっすぐ下宿に帰りました。中には梅田に出かけてそのまま酔いつぶれ、阪急線の梅田近くの駅のトイレで目が覚めた奴がいます。懐には昨日出たボ−ナスと最後のバイト料が入っていました。やられた、そう彼は思いました。  

梅田で最初の飲み屋の入った所までは覚えています。それ以降目が覚めるまでの行動はいっさい覚えていません。案の定あの分厚い封筒はどこにもありません。いつも持って歩いていた肩掛けバックもありません。せっかく昨日まで寝る間も惜しんで働いたのに、たった一日羽目を外しただけでこのていたらく。何で俺が、そう思ってズボンの後ろポケットから下宿の鍵を出そうと思いました。それさえなくなっていたら大家にまた説教を食らってスペアキーを貸してもらうしか有りません。  

あった、あった、あった、しっかり封筒はズボンの後ろポケットにありました。