vol.005 '70 大阪万国博 (5) コサックダンス・スネークダンス
さていつまでも万博の話を続けていてもらちがあきません。田森くんは西へ向けて出発しなければならないわけですから。
長かった万博もとうとう終わりが来ました。半年以上をほぼ毎日通った職場も、明日から解体作業に入ります。 一般の入場客が帰った後三々五々各パビリオンのスタッフも会場を後にします。
改札の連中総出で拍手拍手です。
改札のスタッフに一番不人気だったニュージーランドの連中も今日は握手握手です。同じ英連邦なが ら本国のイギリスの連中の徹底した冷たい慇懃無礼な態度に比べ、だいぶハートフルではありますが、人を下僕以外の何者でもない風に扱いたがるため、何回かもめた連中でもありました。てめーら、キングスだかクィーンズだかのイングリッシュをしゃべろうとしてしゃべれないくせにと、いっぱしの反感を私達持っていました。
ドイツの連中も来ます、肩くんでビールラッパ飲みにしながら戦歌らしいもの歌いながら行進してきます。 「...パンツァー、クリーク...」「...ウンツアー、ロン
メル...」「...パンツァー、ローリング、サファリ...」
ロシア人も来ました。コサックダンスでも踊ってくれないかなと思いながら期待していたのですが、お互い「ハラショー」のかけ声だけで終わってしまいました。
スタッフの列もとぎれとぎれになり、いよいよ万博の中央口の入場ゲートが閉められました。いつもは閉門時間になっても保安のため中央口会場側の照明は全部は落とされませんが、今日は街灯を除い
て広場の照明が次々と消えていきます。
2月、まだ寒いオープン初日、朝の始発電車の前に、次々に照明が 入っていく広場を改札口に座りながらじーっと見ていた記憶がよみがえります。
アルバイトは皆一様に幸福そうな顔をしていました。今日の夕方 アルバイトにボーナスを含めて最後の給料が手渡されたのです。ボーナスの話など当初は契約には入っていませんでした。万博会場内のレストラン、お土産屋、飲み物スタンドすべてのところでボーナスが支給されていました。そうしなければたぶん給料のいい方に人手がとられてしまい、ピークの7月8月は乗り切れなかったでしょう。
会場内でボーナスが出るのなら、その元手になるお客を運んでいる私たちもその分忙しいし電鉄会社も儲かってるはずです。時は70年安保の年、突然アルバイトの労働組合ができて、ボーナスよこせの交渉が始まります。いくら儲かっているといっても最初からの契約にはボーナスのことなど一行も書いてありません。
会社は当然のように突っぱねます。
政治的な安保の話などであればアルバイトも団結はしなかったでしょう。お金のことですしかも、1ヶ月とか2ヶ月分の給料がボ−ナスで追加される可能性があるとしたら、皆が動きました。ほとんど80%以上の学生が参加しました。
お祭りの真ん真ん中の駅に毎日私達勤務しています。アドレナリンだかメラトニンは無尽蔵です。会社の各大学の学生課に連絡するなんて脅しは通用しません。当時社会全体がざわざわしていたときですから、学生課もそんなこと言われても困ったでしょう。
そっちがそうならこっちは、日本の学生名物「スネークダンス」です。
このくらいのダンス、皆が知ってましたし半数ぐらいは実際に体験していましたから見事統制のとれたものが中央駅のコンコースで披露されました。笛一個と、3Mくらいの竹竿が有れば簡単なものです。
あわてた助役の館内放送まだ覚えています 「だだいま、ただいま、あ、あ、アルバイトの、労組がストライキ に入りました。」「コンコースで、ジグザグデモをしております」
すみません吉田助役、お世話にはなったのですがやはりお金が欲しいです。ま、最も私はリーダーではありませんでしたから、その分気は楽でした。
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