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【 片山くんが行く(50) 】
この場所はその後数回お世話になりました。まあ、生活もそれなりに安定してくると性欲の方も安定して来るみたいで、イブ君ちにお世話になってからは、普通の生活でした。朝起きて、働きに行って、夕方帰ってから食事、休みの日はイブ君の家の大工仕事とか庭の手入れを手伝ったり、町をぶらぶらしたり、仕事場でもフィンランドの田舎から出てきた女の子達とだべったりしてました。
落ち着いてコペンハーゲンを見渡してみると、東京に比べ働いている人が極端に少ない町でした。日がな一日中ボーとしてる人が多く、それが年寄りだけではないのです。
おかま(ホモかどうかはわかりません、おねー言葉を喋っていそうな男と言う意味です)が異様に多い町でした。日本でも最近、同性愛のカミングアウトがどうのと言われているみたいですが、70年代初めからここでは、カミングアウトもくそもそう言う性癖の人はまあ別に隠す必要もなくそのまま存在する感じでした。
日本人は、毛深くなく幼い感じがして肌もきれいなんで、ホモによくねらわれるとも聞いていたのですが、私達にはそう言う経験はここではほとんどありませんでした。長期海外旅行者が泊まる安宿などに泊まって盛り場をうろうろしてればそう言う目にもあったかも知れませんが、私達には安宿にさえ泊まり続けるお金がなかったのです。
まず働かなければならなかった故、コペン社会の季節労働者の階層に入り込めたのです、ここは長期旅行者の社会とは全く別物の社会でした。それなりの責任があり、それなりの生活があり、まして住ませてもらってるのが普通の家族の家なので私達もこの社会でのそれなりの生活をせざるを得ませんでした。それは決していやなことではなく、コペンの中で空気みたいな存在になれる家を持ったことは大変快適なことでした。
イブ君の家を一歩出れば、いくら偏見が少ない北欧の国と言っても、私達はまだまだ目立つ存在でしたので気が抜けませんでした。
例えば、隣近所でも最初の頃は、子供が後をついて来ることもありました。決まって彼らは、両目じりを外側に引っ張り、目を細くしてから「キナ、キナ」とはやし立てました。たぶん「チノ、チノ」と言っていたのでしょうが、私達には「キナ、キナ」と聞こえました。人数が多いときは、「一種のハメルーンの笛ふき」状態の時もありました。
こう言うときは大人が注意してくれたり、突然振り向いて「サムラーイ、カラテ、ヤー」と怒鳴ってみたり、いろいろでした。「ヤー」と怒鳴ると子供が文字通り蜘蛛の子を散らすように逃げていくので、面白い面もありました。
最初は住宅街で目立った私達ですが、一ヶ月も経つと毎日だいたい決まった時間と道筋で仕事場を往復してますし、イブの友人の学生と遊んでいたりしますので、日常の中の驚きから、スパイスくらいまでグレードが下がってきました。
ちょっとした広場で、相撲して遊んだりもしてました。簡単に相撲のルールを教えておいて、イブの友人の学生相手に相撲を取りました。体の大きさは、相手は私よりふたまわりは大きいわけです。でも私も河本も負けませんでした。足腰の強さは私達の方が上回っていました。広場でわいわいやってれば夕方などきんじょのがきどもが見物にやってきます。ふたまわり大きい相手に勝つのですから、少しは尊敬してくれます。そのころになると変な外人がいる程度の好意的な認識をしてくれるようになったみたいです。
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