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【 片山くんが行く(46) 】
河本「部屋代もただ、食事もただでは、すごく迷惑かけてるんではないかと思います、もし泊めていただけるなら、そんなに多くは払えませんが、費用を払いたいと思いますが。」
父「ハハ、どうせ君たちお金持ってないだろう、イブの友人でもあるのだからいたいだけいればいいよ、こちらは全然かまわないよ。」困ってしまいました、本当はすごくうれしい申し出ですので無条件に喜べばいいのですが頭がすぐには反応しません。
私「ソーリー、ソーリー」私は、日本語ならどうもすみませんと言いたかったのです。すみませんならやはり「ソ−リー」でしょう。
父「何がソーリーなんだね、君たちがここにいることはなんにも残念なことではないよ」かみ合いません。会話が。あわてて河本が訂正しました。
河本「日本では、ソーリーと言う言葉が、有り難うのサンキュウの意味でも使われて、それで、ゴー(私片山のことです)はそう言ったのです。」これもわかりにくい説明です。
私「サンキュウ、サンキュウベリーマッチ」単純に有り難うの時は有り難うと言えばいいのです。やっとイブの父さん納得してくれたようです。
イブ君の家にはその後2ヶ月くらい滞在しました。もちろんその間の宿代はただ、食費も払っていません。今考えても何故僕たちがこんなに親切にされたのかよく解りません。
コペンハーゲンとか北欧の人が皆ここの一家のようだったかというとそうではありませんでした。人種の偏見は当然ありますし、全ての人が旅行者好きだというわけでもありませんでした。
このご何カ所か転がり込みとか居候はやりましたが、ちゃんとお金をシェアーしてくれと最初にはっきり言われるケースがほとんどでした。当然のことでから私ら、納得した上できちんと払っていました。
私達が、イブ君ファミリーに出会ったのは、しかもコペンハーゲンで最初に出会った家族がこんないい人達であったことはものすごい幸運に恵まれていたとしか言いようがありません。
私達がまだヨーロッパをうろうろしてた頃、この親父は東南アジア旅行の途中に日本へ立ち寄り、河本の実家と私の実家に交互に泊まり東京見物をしていきました。
イブ君は、私はずっと連絡してなかったのですが、2,3年前河本経由で手紙が来て(河本は割合筆まめでしたから、旅行中にお世話になった人とは、最低クリスマスカードに交換くらいはしていたようです)結婚して子供が産まれて、離婚して彼もそれなりの人生を歩んできているようです。あの坊主も、もう40は越えたように思います。
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