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トラベルメイト片山くんが行く

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  1. 【 片山くんが行く(37) 】

     B君左手の手のひらをこちらに向けながら2,3度振りました。それから右手でもっていたナイフを左手で刃をつまんで元に戻しました。

    「ジョウク、ジャストジョウキング」

     ナイフは彼のポケットに納められました。顔はと言うとこれ以上は無いという笑顔です。よく見ると人の良さそうなアンチャンです。こいつらとは思ったのですが無抵抗の奴をぼこぼこにするのもかわいそうな話です。見事な態度の転換です。

     勝てると思うと強気に出て、負けると思ったら瞬時に無抵抗の態度を表す。たくさんある日本人論の中で日本人は、いつも大きな方に、勝てる方にしか付かない自分がない民族だなんて言われてますが、そんなことは一口では絶対いえません。勝てるときはかっておいて、負けそうなときとか最初から勝てそうもないときは直ぐ逃げる、これは世界の常識です。それが日本人の特質だったなら、金髪A、B両名とも典型的な日本人だと言うことになります。

     私たち多くはありませんが旅行に関する本を少しは読んで出発しました。その中には日本人論とか、文化の比較論が何冊かは入っていました。活字になってればある程度は考え方の指針にするじゃないですか。でもそんなとこに書かれているステレオタイプの、何々人は、とかヨーロッパではとか、日本人は等は私たちがヨーロッパで旅行を続ける中で糞の役に立ちませんでした。

    「オー、シット」でした。文字通りです。

     はっきり行ってあんたらふがいないよなーといえる、金髪君でした。日本で出版されてる本の中で取り上げられる白人で、日本人と関わる人の中でこんな外人存在しませんでした。 立派なきちんとした身なりの学者のジャックさんとか、駐在先でたまたま隣人になってお世話になった、隣の立派な社会活動もしているベティさん、この人たちの話は読んだことはあります。今ヨーロッパで皿洗いを始めた私たちにとってどこの世界の話でしょう。今目の前は現実の世界でした。この世界にも乞食から貴族まで泥棒から聖人までいて一口で割り切れる単純な話ではないことがわかり始めた第一歩でした。

     外人にだって泥棒がいる、単純な驚きでした。70年代の初期まで日本には貧乏な外人はいませんでした、福生、横須賀辺りへ行けばアメリカ軍属ブイブイ言ってましたから、卑屈な日本人と言われるとすんなり納得できたのです。



     盗った物は返してもらわねばなりません。A、B両君の荷物自分で全部開けてもらいました。出てくる出てくる、ライター、扇子、ハンカチ。

     河本は彼らの前で荷物のチェック役、私は後ろに回ってヌンチャクで頭をごりごりこずく役です。たまに肩なども軽くぽんぽん叩いてあげました。

     イヤー人間これだけ態度が変わるのかと思えるほど彼らは協力的でした。「いやー、はっはっは。悪い悪い、出来心だから勘弁しろよ。」日本語が出来たら彼らきっとそういったに違い有りません。

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