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トラベルメイト片山くんが行く

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  1. 【 片山くんが行く(6) 】

     出発二週間ほど前から友人達の送別会に名を借りた飲み会が続いていました。おかげで予定では10万円位を持って旅行に出発することになっていましたが、実際懐には5万円弱のアメリカンダラーしか有りません。手持ちは泣いても笑っても135$でした。河本くんも似たようなもので、両方あわせて10万を少しでるかなと言う程度です。

     餞別ももらった記憶はあるのですが出発前には残っていません。バイト料どころか餞別も飲み会に使ってしまったようで、10年海外旅行を続けるには非常に心許ない額ではありました。

     出発当日、羽田に向かうため家を出ました。路地の曲がり角でちょと立ち止まって振り向きました。板塀に囲まれた自分んちが有りました。東京の下町の家をふるさとというのもそぐわない話ですが、夏の真っ盛りの強い日差しの中に私のふるさとがありました。

     一緒に見送りに羽田へ行く家族は、駅の方へ急いでいってしまったようで姿が見えません。リュックを担いだ私を見て近所のおばさんが声をかけてきました。「旅行?いいねー。北海道?」

    私「ええ。まーちょっと」
     寂しくもあり誇らしくもありました。

     羽田では、むしろ旗とか横断幕こそ有りませんでしたし、白いたすきも掛けてはいませんでしたが、昔で言えば出征兵士の見送り風景でした。「片山、河本両君の武運長久を願い」は有りませんでしたがやはり決まり事の万歳はありました。日本を憂い放浪にでる若き高杉晋作の気分です。リュックの中には海軍旗(朝日新聞の社旗みたいなやつです、旭日旗とも言いましたっけ)をしっかりと詰め込んでいました。何故と聞かれると困るのですが、そのときは旅行に持っていきたかったのです。日章旗よりかっこいいじゃないですか。

     いよいよ出発の時、私も河本も泣きはしませんでしたが、目の辺りが湿っぽくはなってきていました。見送る方は何人かは勝手に感動してウルウルはしていました。

     小説などではこういうとき恋人が見送りに来ていて、悲しい別れをしたりするわけですが一応硬派であった私たちは男の友人と家族には恵まれていましたが、まだ女の子には恵まれてはいませんでした。

     後日の日本出発の時とか、旅行先での出発に見送りに来てくれる女の子もそれなりに出来「じゃやあな、手紙出すから」「うん、元気で」の掛け合いの心地よさも体験しますが、最初の旅行の出発地羽田ではそう言う色気は全然なく、出征兵士の見送りの風景以外の何者でもありませんでした。私この時まだ....でしたから。河本もたぶん一緒だったとは思います。

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