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【 片山くんが行く(78) 】
ちょうど70年初期は、ブルースリーの「燃えよドラゴン」が大ヒットしたころです。しかもオランダは割合華僑が多いところで日頃から香港製のカンフー映画は、中国人向けに上映されてました。
オランダの人にとって、カンフーもテコンドーも空手も全部同じようなものです。東京オリンピックでは、無差別級でオランダのへーシンクが神永を破って金メダルを取った事もあわせて、東洋の武道が一部の人ではありましたが人気博してました。
武道の道場も経営がやっていける程度にはポピュラーになってきてたようです。私達が最初に採用された道場も、最初はテコンドーの道場としてスタート後で、柔道、空手と教える種目増やしたようです。
ほとんどの生徒は、ブルースリーとか香港のカンフー映画の影響で武道始めた人達でした。東洋の神秘だとか、禅の精神などのややこしいものからの入門ではありません。その分単純でもあります。
武道は突き蹴り、受け身、呼吸法などの単純な基本を何百回繰り返してやっと一瞬のきまり技がでてくるものでありますが、彼らはそんなことは知ったことではありません。跳び蹴りとか、背負い投げとか大技を習いに来てるわけです。
それに先生だとは一応認めてくれていますが、先生のいうことだから、先生が指導することだからという理由では動いてくれません。自分よりはっきりと強いことがわかってなければ、納得しません。
遠慮なんて言う言葉もありません。先生がああいってるのだからもう少し黙って基本をやってみるかなんて事はあり得ません。
基礎やれといわれてちゃんとやった、じゃあ次は跳び蹴り教えてよとこう来るわけです。断ってもかまいません、それは先生の判断ですから。しかし、先生であるためには、常に彼らより圧倒的に強いということを、目で見えるように誇示しておく必要がありました。
弱い先生の教えることなど誰も聞いてはくれません。第一弱ければ先生ではありません。(日本でも同じではありますが、一応先生と名が付いてれば、ほれ微妙に遠慮というのがありますでしょう。)
最初の板の試し割でも、東洋の神秘を保つためのやせ我慢はまんざら無駄ではなかったようです。その後も、煉瓦とか、板、等の試し割は生徒の間では、はやってました。決まって、先生は割れるかいと期待されました。
毎回応じていたら体持ちません。絶対に割れそうな、しかも一見難しそうな時は時々デモンストレーションしました。そうしなければ、強さが生徒には見えません。
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