パリの仏教徒(2)
微妙に日本とは違った仏壇でした。安っぽい感じもあったのですがそれ以上に何処かおかしいことは解るのですが、どこがと言われると解りません。日本でも仏壇は身近にはありましたが細かいことまでは覚えてはいません。オリエンタルチックな小さなものでした。法隆寺の五重塔の写真も飾ってありました。
「南無妙法蓮華経」と書いた黄色く変色し始めた紙がぶら下がっています。彼は人の良さそうな警戒心のない笑顔を浮かべています。
どうしてこう宗教にはまっている人の顔は万国共通なんでしょうか。それとも私が無信心のためのひねくれた心を持っているのでしょうか。日本でも、私は宗教の信心など最も理解不能の事の中に入っていました。無償で金を出してその見返りが心の平安、金出すなら少なくとも腹は一杯にして貰わなくては、べろべろに酔っぱらうのでも悪くはないです。
しかもあの笑顔がどうも気に食わないのです。普通初対面の人なら笑顔が少しは引きつるし警戒心のけの字くらいは出てきます。これは外人だろうが日本人だろうが共通の動物的な本能ではないかと思います。私たちも場慣れがしてないための海外でのお世辞笑いの段階はとうに卒業していました。だから私たちの笑いも、お世辞笑いではなく、軽い警戒心の笑いでした。
宗教を信心してる人の笑いは心から心を許した笑いではなく、笑っているとき貴方が殴りかかっても全然堪えません。左の頬を殴ったらほれ右、どうだ殴っても無意味だろう。そんな開き直りにもにた臭いがするのです。当然そんな怖いこと私には出来ませんから、曲がりなりにも両頬を差し出せる人とは馬が合いません。
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