イリヤンジャヤ
「パプアニューギニアでも戦争あって、日本の兵隊も沢山死にました。アメリカ、オーストラリア両方の軍隊に挟み撃ちにあってほとんど全滅に近い形になりました。」
「あのころ私は15歳くらいでした、日本軍のお手伝いしてましたから日本語うまくなったんです。」
私「それで、オランダへは仕事できておられるんですか。」
「いや、仕事と言えば仕事ですが、亡命してきたんです。」
えっ、全然想像してなかった答えが返ってきました。多分現地は一次産業しかないだろうから木彫りの民芸品とか槍等の輸入商かなと思っていたのです。それが亡命とは。どう話し続けて良いのか解りません。
私「亡命って、内乱とかクーデターなんかあったのですか。」
「いえ内乱じゃありません。元々、インドネシアはオランダの植民地でしたしニューギニアの西半分はオランダ領でした。東はドイツとオーストラリアがそれぞれの地域を植民地にしてました。」
「二次大戦後、ほとんどの国が独立しましたが、その独立した国が民族も習慣も文化も違う地域を今度はヨーロッパとかオーストラリアに代わって植民地にしたのです。私たちの場合インドネシアがそうですが。戦後オランダから独立したんだから私たちも独立しようとしたんです。10年くらい前まで私たちの国は国連の管理下にあったのです。それが突然インドネシアが自分の領土だと、主張し始めたのです。」
「西イリアンで衝突が始まりました。この時アメリカのケネディ大統領が仲介して1969年に国民投票で国の独立を決めようとなったのです。国民投票は行われたのですが、不正の横行とインドネシア軍の圧力で結果は独立ではなくインドネシアに帰属する事に無理矢理されてしまいました。この時何人もの人が殺されたり行方不明になりました。」
今日も仕事帰りにビールを一杯のつもりが突然シビアーなお話です。どう相づち打って良いのか、とまどいました、私たちの顔が引きつってきてたのかもしれません。
「あなた方は、旅行できてるんですか、最近日本の若い人ヨーロッパのあちこちで見かけます。」
彼は話題を変えてくれました。そうそう、それなら話すことたくさんあります。
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