トラベルメイト Top page へ戻る

トラベルメイトトラベルメイト98

<<前のページ     次のページ>>

「トラベルメイト98」
  1. 【 旅行者(13) 】


  2.  さて旅行者の項締めくくりです。旅行者という言葉の定義はいろいろありますが、単純にここでは旅行に行く人を全部旅行者とさせてもらいました。観光客という言葉もありますが、語感が「旅行者」の方がいいのでこちらを使わせてもらいました。最近旅行に出かける人は、ほとんど観光客といっても間違いではありませんからどちらを使っても良いのですが、たぶんみなさん「旅行者」と呼ばれた方が気分いいでしょう。

    狭い意味での「旅行者」、旅行中にただ傍観者で見るだけでなく相手にも何らかの影響を与えて変えていくような、遺伝子を運んでいくウイルスの役目の人は、本当に少数です。私の経験からして、数万人手配してその中の数十人、この中には自分の中を深く探求する形の小乗仏教的な人が大部分で、自分の外を含めて自分を外との影響の中で生かしてしまう大乗仏教的な人はさらに十分の一くらいでしょうか、これらの人たちの周りに彼らがやってることが理解できる人が数百人と言うところでしょうか。

     つまりあくまで仮想のモデルですが、一万人旅行者がいたら、狭い意味での大乗仏教的旅行者が一人、小乗仏教的な意味の人も含めたら10人、それらを見て理解することが出来る人たちが90人、後の九千九百人はグレードの違いはあっても普通の旅行者です。(この九千九百人は、観光客といっても間違いではありません、最初の10人は決して観光客とはいえません。90人は見方によってはどちらともとれますが基本はやはり観光客です。見て理解することしかできませんから。)

     最初のスタートの全く初心者の所から、頂点の一人まで誰でもチャンスがあるかというと、考え方によってはチャンスはありますが一番的確な言い方をすれば「頂点に立てる可能性を持ってる人でさえ大量にいるから、普通の努力しかしない人と平均的な能力の人は可能性さえない」と言えます。そしてこれらは静止して誰にでも見える物でなく、90人の人たちにとっても直感的にしか理解できない物でしょう。それを感じてからじっくり考え何らかの形にしたときにはもう現実の世界はかなり進んでしまっていて別の世界になって、ほとんどの場合世代交代が始まりもうすっかり代わっていることの方が多いように思います。じっくり構えないと、理解できない、しかしじっくり構えると、現実の世界はもう新しい物と代わってしまっている。

     でもそのスピードについていったままでは目が回って吐き気がするだけでなんの言葉も映像も音もイメージすら得ることは出来ないでしょう。見て理解することはあなた自身が一時とどまり現実ではなく過去にさかのぼって、今瞬間見たイメージとか音とか言葉を昔体験した似たものと比べ合わせて理解する作業が必要です。

     頂点に立つ一人は、走りながらそれが同時に出き、さらにその体験を走りながら語れる人でしょう。九人の人はいつも走ってるわけではなく、たまには歩くこともありますが、歩いてるときに限っては聞けば体験を教えてくれるかもしれません。90人は自分で生の世界を体験したり感じたりすることは不得意で、先頭を行く十人の発するデーターを自分なりの言葉、イメージ、音に変換して理解します。この90人の作業で残りの9、900人が理解できる形に体験が変わっていくのです。

     みなさんはたぶん、作家とかライター、写真家、映画監督、画家、等のその他諸々の芸術家は先頭を行く十人がそうだと思われるでしょうがほとんどの場合彼らは90人のなかの住人です。9,900人に分かる形で理解しようとすると立ち止まってデーターを発酵させ、皆に分かる高級言語かGUIに変換する必要があります。商品化という作業も絶対必要ですし。

     90人の人たちの周りには、10倍の900人の人たちがいます。この人達を古くはマニア、今風に言えば「オタク」といいます。彼らは情報を自分から積極的に探す人です。そのためのコストとか時間は彼らにはなんの障害でもありません。彼らは一見熱狂的で盲目のように見えますが、自分なりのこだわりへは、常に比較検討を繰り返します。その点では絶対探してきた情報を頭から鵜呑みにはしない人たちです。彼らへは、先頭の十人のデーターを商品化する必要はありません。かえって商品化することを拒みます。商品化すると言うことは、形を変え、熱処理したり、防腐剤を入れたり、冷凍にしたり、着色したりする作業が入るからです。生ものは常に、手早く処理してそれなりの胃袋を持ってないと食中毒になる可能性がかなり高くなります。それでも彼らはやはり生ものを好みます。そこが「マニア」のマニアックなところなのです。

     900人の人たちの周りには、ほぼ二倍の2000人の「情報通」の人たちがいます。マニアほどは、全てを犠牲にしても生ものを手に入れようとしません。塩鯖だってあじの干物だって(鯣もね!)それなりに新鮮な良い物で有れば刺身とは別の意味でうまいわけですから、そうは無理をしません。残りの7000人よりちょっとだけ情報が早くて、「さすが」といわれればそれで満足なのです。旅行だけではなくほかの趣味もたくさんこの世の中には存在しますから。

     残りの7000人の人たちは「流行」のものしか目に付きません。他の人と同じ物しか興味がわきません。そうすることによって常に多数派に属することが出来ますし、他の人がやっている一般的なことで有れば時間もコストもそうかからないわけで「面倒な」事をやらなくてもすむわけです。効率の面から言えば、リスクも少なく、「流行」する前より流行り初めて一般化してしまった後が安くて短期間で同じ事が実現できるからベストともいえます。この人たちを普通の観光客としましょう。

     中国旅行に関しては、先頭の十人の旅行者の一人からデーターを受け取りました。そして90人の旅行者(狭い意味での)予備軍へ伝えました。彼らは、自分たちのテリトリーと世界を持ってますから、情報が私たちからでたとしても、私たちの会社を使うわけではありません。最初ぽつりぽつりしか中国旅行に行かなかったのはその為です。ちょっとした情報だけあれば、私たちと同じような中国自由旅行が手配できるように直ぐなれる旅行会社は何軒もあります。彼らは自分がよく使って気心が知れている旅行会社へその情報と主に手配を頼むでしょう。多分時差は、4ヶ月と言うところです。

     私たち独自の説明会に参加し始めた人達は、900人に属するマニアの人達です。月に何件か出始めた「中国自由旅行者」はこの人たちです。この人たちが一気に増えるのではないかと甘い期待を抱きましたが、増えるはずはありません。「マニア」ですから。この辺りの人達までは、手配を頼む会社がどういう筋のどういう大きさかは、一応聞きますけどもリスクをあまりおそれません。おもしろさ目新しさは、リスクとコストと時間の固まりだと言うことをよく理解してるからです。

     最初の頃「金剛石偉大社」のコースに申し込んできたのは、「情報通の人達」です、情報通ほどあってかなりラベルとか銘柄にこだわる人達であります。それもちょっとマイナーなものが好みです、あまりマイナーすぎると7000人が理解できませんから。(当時は個人旅行自体があまり市民権を得てはいませんでしたので、ダイヤモンドビック社さえマイナーっぽいメジャーであったのです、

    「地球の歩き方」もまだ中国編でシリーズ4冊目でしたから)その人たちが100人とか200人とか300人とか。この人達は、危なそうなグレーゾーンの時は手を出しません。だから私たちが必死になって、写真を見せたり実際に旅行した人の現地からのはがきを見せても、在日中国大使館とか、大手代理店が中国国内、自由旅行等まだ出来ませんというと申し込みはしません。一応カウンターまで確かめに来たとしてもです。ところがいったん「金剛石偉大社」のラベルが貼られたら、「中国自由旅行」は表街道のグレーゾーンで、危なさはなくなり最も「情報通」の好む商品に転化したわけです。

     参加人数が、1000人を越える様になってくると、参加者の層は「情報通」の人達に引っ張られた普通の人達になっていきます。この人たちは「中国自由旅行」に参加したわけですから、自分たちは「マニア」ではないけども、少なくとも「情報通」ではあると思っています。

     「情報通」の人は多分自分たちが「マニア」かマニアに近い位置にいると思っています。マニアは、旅行者予備軍に入ってるか、入りたいと思っています。「旅行者予備軍」は、「旅行者」だと思い込んでる人が多いようです。実際、瞬間的には旅行者になったりする人も多いわけで、「旅行者」と「旅行者予備軍」にはかなりの偶然が左右しますから見方によっては判断しかねることもあるのです。

     この十番会議室は、初心者のための入門講座ですからヤジロベーの重心は、「情報通」と「普通の観光客」の間に置きます。ご自分がどの辺に位置するのかこの入門講座を読みながら考えていただくと良いかもしれません。 ま、あくまで説明のための仮説ですから、もっと他の考えもありますでしょうが!

     そういうおまえは、まさか旅行者の10人の中の3番目くらいだと言いたいのではないか、とおっしゃる方もいるとは思います。残念ながら私も、私たちもこの一万人の中の平面には入ってません。

    例えば演劇の世界で説明しましょう。演じる人がいて観客がいてこの世界は成立します。でもこの二つのファクターだけでは世界は出来ません。舞台が必要です。入場券を売らねばなりません。演劇を作るためのハードな部分は絶対必要です。私たちはこの舞台を作って、入場券を売る裏方の部分を担当しています。決して舞台にでて演じたり客席で泣いたり笑ったりはしません。ただ、天井裏から舞台と客席両方を見続けています。切符が売れなくて資金繰りの綱渡りも毎回のように見てきています。

     当事者同士ではありませんし、同じ平面に存在するわけではありませんが、立体的な位置から見続けています。

     また、あなた方が旅行にでる回数と、現地で会う人たちの数と、私たちが毎日旅行関連で出会ってる客さんと、その他旅のパーツを構成してるスタッフの数と比べたら比較にならないくらいの差がつきます。自然と旅行ならびに旅行者に対して私たちは目がむちゃくちゃに肥えてきます。ある面ではその見方はいびつかもしれませんが、それを補ってあまりあるパワーと持続力があります。

    ごめんなさいよ!ごめんなさい!(アンディフグのCMの調子で口ずさんでみてください)旅行者が私たちにはそう見えてしまうので仕方有りません。

<<前のページ     次のページ>>



↑ページ最上部