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「トラベルメイト98」
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【 旅行者(12) 】
(11)では、せっかく中国旅行参加者が夏のシーズンだけで2500人越えたのにその人達が後でほとんど帰ってきてはくれなかったことを話しました。その原因を友人知人に聞いたところ、「人材不足と、人数が少ないが故の処理能力の不足にある」と言われ一旦は納得したけどもどうもおかしいと思ったところで終わりました。さて続きです。
正確な年は覚えていませんが、確か85年か86年くらいの夏のシーズンでした。その年の春は、中国手配の総数が1500人を越えました。その割にはトラブルも多くはなく、航空便の席も苦労なく取れました。東京発の香港経由の旅行者だけで900人を越えたのです。夏を迎えるに当たって、より早い手配をするために「アポロ」という、ユナイッテド航空の予約の端末も東京と地方の支社に入れました。アルバイトも少し多めに募集しました。たぶん参加申込者は夏は1800人くらいと想像しました。もちろん、航空券の座席も例年より多めに手配してその結果待ちと言うところでした。
中国手配専用の泊まり込みで仕事が出来るマンションも確保しました。たぶんもっと手配できる余裕はあるから、夏からはダイヤモンドビック社の東南アジアのページも担当することにしました。今年の夏は用意万端、たぶんシーズン終わりの9月初旬には私は、休暇を取ってニュージーランドヘスキーに行く予定でした。5月下旬から夏の受付開始です。順調な滑り出しでした。ダイヤモンドビック社の中国、東南アジア、私たちの会社本来の商売の「格安航空券販売」も、最初は順調なお客さんの増加に皆が心軽くるんるん気分でした。
今年はいつもの年と違うと気がついたのは、6月下旬でした。申し込みのお客さんはどんどん増えていきます。7月初旬出発の人の手配は何とか終わりましたが、中旬以降の人の席があらゆる方面足らないのです。特にこの年の夏は、香港行きとオーストラリア行き北米行きの席がパンパンでした。特に私らに関係有ったのが香港路線です。決して今まで実績がないわけでもないし、前もって春より多めに頼んであったのに席が取れてきません。 7月中旬からは地獄が始まりました、それは本当に突然始まりました。終わったのは9月初旬、この2ヶ月間は10年間にも匹敵するくらいものすごい物でした。このときコントロールセンターをおいていた吉祥寺へは今でも行くと胃が痛み出します。
この年は、申し込みが予定より半端ではなく多すぎたためパニックになった旅行会社が続出しました。半端でなくもめたのが大手K社の某支店、オーストラリアのお客さんを受けるだけ受けて、7月初旬担当者が失踪全てがほったらかしのため一時は手の着けようがなかったようです。失踪君はこの後横浜でふらふらしてるのを見たとか、川崎の駅前でちらっと見かけたとかの噂が流れました。結局はあとでパニックが終わった後姿を現します。 私たちは彼のような贅沢な失踪は許されません。会社が小さければ小さいだけほったらかして逃げようがないのです。会社という法人でついているお客ではありません、我々個人についていてくれるお客さんの訳です。では例えば「ダイヤモンドビック社」からのOEMの中国のお客さんはどうでしょう。直接的には自分の所のお客ではありません。その辺りは正直言って直接のお客さんよりパニクッても少しは楽です。しかしほったらかして逃げるとなると話は違ってきます。私らと今度はダイヤモンドビック社の担当者との個人的なつながりの放棄になります。代々、K社の例えば新宿支店が受け継いできた仕事の延長で、私がいなくとも誰かほかの支店長とか部長が処理してくれる様な複数のクッションはありません。誰にだって限界はありますから、大手の社員でも中小の社員でも限界越えれば最終的に同じ事にはなるのでしょうが、その限界の程度がかなり違うように思います。
この失踪はただ単純にお客さんの数が処理能力を超えただけではなくもう一つ大きな原因がありました。通常大手は社員が多いです。まあ多いから大手とも言うのですが、そんなに失踪君が困っていたなら誰かが助けてはやらなかったのかという疑問が生じます。原因と結論は単純です。誰も助けてはやらなかったのです。だからパニクッた失踪君は本当に失踪してしまったのです。
大手にお勤めの方旅行会社に限らず大手であるが故の、「誰かがやるだろうと思っていた、実は少しは私も気がついてたのだけれども」というコメントに覚えはありませんか。なにもないときは順調ですが、いったんパニクルと迅速な処理が出来ない、処理案に関しては腰が重く成り行きでしか結論がでない、私は悪くない理論は皆立派なものだけれど。
年末のデリーでもよくありました。当時は今のようにコンピューターがきちんと動いてはいませんでした。参考的にしか使われないことも多々ありました。特にグループの場合出発2ヶ月前に入れた名前が、出発直前の10日前に日本で最終的に調整したにも関わらず、古いままの人数と名前であったりすることがあったのです。そうなると1月の4日とか5日の帰国便のピーク時にはグループの最終人数と参加者の名前は現場で決定と言うことになります。そういうときの私らの動きは、毎年同じ人間がデリーにいて慣れてることもありますが素早いし的確な処理をやりました。霧で飛行機が飛ばなくなるときと、とヨーロッパからの乗り継ぎのお客がデリーとかボンベイから先オーバーブッキングしてるとき以外は、何とかしました。他の大手と席を取り合ってもほとんど私たちの方が何とかなる確率が多かったのです。(相手が席を取ったこともたまにはありましたが)
まあそりゃそうですわ、お客さんの顔を知ってるのも私たちですし、お客さんが顔を知ってるのも私たちです。現場で席を取るのも私たちですし、とれなかったりしたとき(どんな理由であれ、オーバーブックだろうが、コンピューターの入力ミスであれ、天候の原因でも)空港で処理しなければならないのも私たちです。ぜーんぶ個人一人一人です。ビリーミリガンのように24人だか23人だかの、人格が代わる代わるにでてくればお客にも、うけるし本人も楽でしょうが。
どだい根性が違います。今から考えるとよくやってたと思いますよ、私ら、たかだか20代後半か年食っていても31,32歳くらいでしたから。英語はしゃべれはしましたが、不十分でしたし。ヒンズー語などもちろん「アイエー、ジャイエー、キトナパイサ」位しかしゃべれませんでしたです、はい。
方や大手の添乗員は、「私通常は経理なんですが、今年は人間が足らなくて」とか「私、インドは行きたくないて言っておいたのに、こっちへ回されて本当は私ハワイしか知らないんです」とか、まともな人もいることはいましたけども。 大手も、中小も最終的には好みの問題でどっちが良い悪いは絶対的にはいえないものなのです。この辺りをマニアックな人達はうまく使い分けていきます。キャンペーン商品はやはり大手の方が安いぜとか、やっぱクンジェラブ峠越えは専門マニア店だぜとか。
やっと旅行者の項の締めらしきところへやってきました。今度こそ本当に旅行者(13)で、次へ行きます。
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