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「トラベルメイト98」
  1. 【 旅行者(11) 】


  2. (10)では、OEMしたとたんお客さんの層も違ったし、反応が違ったという話をしました。その続きです。

     83年春は150人ほど申し込みがありました。うち20人ほどが自分のとこの独自の集客であとは「ダイヤモンドビック社」経由のお客さんでした。83年夏は350人ほどうち独自集客はやはり20人ほど。

     地球の歩き方「中国編」ができあがった 1983年年末以降、中国自由旅行参加者は春、夏のシーズンごとに倍々の伸びを見せていきます。ガイドブックが印刷されたことで、中国への自由旅行の不安も解消されたらしく、説明会ででる質問もほかの地域の説明会と同じく、具体的な交通機関の話とか、食事の話とか、ホテルの話になっていきます。

     会場も、30人入れる会議室では足らなくなり、確か84年とか85年は、ダイヤモンドホールを使いました。それでも立ち見がでるくらいの時もありました。たぶん多いときは300人以上の説明会参加者がいたのではないかと思います。

     私たちは、やっとマニアックな目的地が世に受け入れられた思いこみました。なにがあってもとにかく趣味である海外旅行はやめない人たちが、倍々で増えてきていると思いこみました。200万人、400万人、800万人、1600万人と増えていくと同時に加速度的に旅行慣れした人が増え、マニアックな人たちの総渡航者に対する割合も、例えば100万人の時マニアが1%だとすると、200万人の時は2%、400万人の時は4%と増えていく様に思われました。まあ、単純に考えてマニアが過半数を占めることはどんな遊びにもあり得ませんから、30%くらいが限度でそれまでは順調であるはずだと思いこんでしまいました。

     中国自由旅行のブームは、1989年6月4日の天安門事件で終わりました。85年までは倍々で増え、ピークには夏のシーズンだけで2000人前後集まった自由旅行も毎シーズン30%から50%減で、89年の春のシーズンは、200人ほどまでに減ってきてました。(春でも一番多い年は、1200人くらいの参加者がいたのです) 天安門事件が最後のだめ押しにはなりましたが、それがなくともブームは90年か91年には終わっていたと思います。

     ちょうど、1989年の6月4日の次の日は月曜日でした。なぜ覚えているかというと、月曜日はパキスタン航空の北京便が飛んでる日なのです。6月5日の朝、前日の天安門事件が大きく取り上げられた新聞を読んでました。読みながら何か気になるのです。すぐやらなければいけないことがあったようなないような。朝飯食って駅へ向かう途中ものどの辺りに何かつっかえたような感じがします。思い出せないまま電車に乗りました。月曜日は、「少年ジャンプ」「ビッグコミックオリジナル」の発売日です。これを読み始めると電車の中も、もう映画館同様です。ほかのことは全然頭にありません。

     10時前に会社に着きました。さっきののどのつっかえがどうも気になって仕方がありません。「今日出発のお客は北京行きの一人だし、空港でチケット渡しで、入金も支払いも終わっているし、中国のビザとったあと、パスポートは本人に渡してあるし、どこが」
     「うん、中国、ちゅちゅうごく、げっやべー」
     おおりゃー!またまた横道です。この話の続きはあとでお話しましょう。

     よくよく考えてみると、私たち独自のお客さんは、増えていたことは増えていたのですが東京と地方の支店合わせて、夏休みシーズンで120人から150人くらいの人数でした。かたや,OEMの方は多いときは2500人。この2500人が私たちブロ−カー体質の会社を知ったのだから、面白い旅行とか、目的地もこれで売れるようになると期待しました。中国のブームが去ったあと、この2500人の人たちは、ほとんど私たちのお客さんとしては残りませんでした。

     もちろん私たちのサービスが金払った分だけの価値がないと判断した人もいたかもしれません。大量送客になっていった分だけ仕事が雑になってい行ったこともありますでしょう。実際、大パニックになったときもありました。お客さんが集まりすぎて処理能力を超え、毎日がトラブル日の様なときもありました。

     こう書いていくとほとんどの人は、小さな所はやはり大手に比べて人でも人材も不足してるから、毎日の小さいが故のトラブルとか不都合が積み重なってせっかく2500人が5000人とか7500人になるチャンスを捨てている、大手が大手なのはその辺の安心感があるからだ、と思うでしょう。これは、私の個人的感想ではなく実際何人かの旅行好きに聞いて見た結論です。前後の状況を話したあと「2500人もいてほとんどこの参加者が帰ってこないのはどうしてだろう、どうして増えないんだ」と聞いてみたわけです。 最初はなるほどと納得していました。そうか小さいからか、私らのような何年も同じ事を繰り返しているベテランはいたとしても(何か問題があるとき原因は常に自分以外にあると思いたがるものです)ほとんどはアルバイトだもんな、正社員の多い大手の人材と処理能力にはやはり勝てないかと一度は納得しました。 が、やはりどう考えても、会社のサイズ違いで全部を説明する事は出来ません。

    なかなか終わりません。旅行者を語るのに、今旅行会社を語っています。これらは表裏一体な物ですから(どちらが表どちらが裏というわけではありません)片方を語ると言うことはもう一方も自然と語っていくことになるのでもう少々お待ちを。結論にそろそろ近づいていますので。

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