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「トラベルメイト98」
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【 旅行業で喰う人々(1) 】
旅行会社/旅行者と来たら後残るのは、旅行会社に勤務する社員です。アルバイトも含めて旅行者が出発前には必ずお世話になるあの人達です。彼らもピンからキリまで色々な質の人がいて、すごく自分に合う人もいれば、お互い何となく馬が合わない奴もいるわけです。
漫画で「ホテル」というのがあります。ホテルプラトンで起こる様々な事件とか、出来事がそこで働く従業員とお客さんのふれあいによって解決されていく。一旦はお互いの誤解と思いやりのなさのため大変なトラブルになりそうだけども、結局は両方の誠意ある行動のため誤解が解けて丸く収まっていく。そんな感じの漫画です。
ほとんどの方は、当然現実的にありそうもない話ばかりで同じ様なことが実際に日本のまたは世界のどこかのホテルで行われているなどとは思ってないでしょう。でも、条件が許せばホテルプラトンかそれに近いホテルがあっても良いかなと思っている人は多いと思います。
海外旅行を扱う「旅行社」へもそんなイメージを当てはめてくる人も、少なくないと思います。「旅行会社社員」もホテルプラトンに近いような人がいれば良いなと少しは頭の片隅に思っておられると想像します。
確かに1970年代後半までの普通の旅行会社はそれに近い物がありました。海外旅行の大部分は割合高めなパッケージ中心でしたから。高級品を扱うお店は慇懃な態度をとってくれます。その分が商品の料金に入っていたからです。銀座の千びき屋で果物を買うような感じでしょうか。今は、ショッピングセンターの食料品のスーパーでカートの中に必要な物を投げ込んで、レジで精算するか、駅前の市場のなかの果物屋で威勢の良いアンチャンのお店で買うかがほとんどになっています。
TVドラマで言えば「ホテル」よりむしろ「ER」が現場の状況をよく出してます。まあ、両方を比べるのは「ER」の方に失礼かもしれませんが。 「ER」では、どんどん患者が死にます。助からない人は助かりません。病院のスタッフ皆努力はしているのですが、失敗は必ずあります。誤診もあるし、逆に骨折できた患者のガンが見つかったりします。
安っぽい病院ドラマのように「全員のスタッフが患者のためを思って身を粉にして働いている。」、たまにそうではないいやなスタッフもいるけども、結局は彼は一時道を踏み外していただけで、難病の患者の感動物語を目の前にすると「彼または彼女本来の姿に戻って、病気の患者とつきあっていくことは自分を生かす道だと」理解する、様なことはありません。
あくまで、長所も欠点も持ち合わせているスタッフが、現実に起きる病気けがに対し、おおむねがんばってやっていく。そこには固定的な、本来人間が持っているとか、プロが持っている職業意識とかの観点はありません。常に患者とスタッフの関係は一定しないで変化し合いながら作用します。どんな名医でも極度の寝不足なら失敗はしますし、態度の悪い患者にも看護婦は常ににこにこしてるわけでもありません。
病院内でほとんどのストーリーが進んでいくのに全然飽きません。細部にわたってのリアリティが、ドラマだということを忘れるくらいの迫力で迫ってきます。それに比較して、「ホテル」の陳腐さ、TVでは脚本にも「ER」の様にコストをかけてないこともあるのでしょうが、元になった漫画自体の哲学不足。 「サイボーグ009」とか「サブと市捕り物控え」のあの美学はどこに行ったのでしょう。(最近作者の石森章太郎お亡くなりになりましたが)
おっと、また脱線しそうです。旅行会社社員のことを話すのがこの項の目的でした。今までの海外旅行のイメージ、旅行社のイメージ、サービス業はこうあるべきだ等のこうあったらうれしいな理論、全て捨ててください。旅行社社員は全員が生身の人間です。その職業観より前に、その商売で食って行かねばならない訳です。食うためにその職業についているわけです。旅行業界の人間も、「もうけることより、お客さんの喜ぶ顔が」とか「銭金の問題より、すばらしい海外の庶民との出会いをお手伝いできれば」とか言う人がいますが、良さそうな言葉を並べることは簡単に出来ますから。
旅行会社社員にとって一番なのは「楽をして儲かって遊べれば」で有ります。まあ、この部分どんな商売でも同じ事ですが。
この旅行社社員の項は何番目まで続くかは書き始めないと分かりませんが、副題は「旅行業で喰うひとびと」、著者は「辺見するめ」です。
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