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トラベルメイトトラベルメイト98

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「トラベルメイト98」
  1. 【 旅行者(9) 】


  2.  マジな東洋人のMIBの人たちへ、質問ありませんかとか、そこの前列の方話しよく分かりましたか等と話しかけてみたのですが、うなずくか手を振るくらいで一言もしゃべりません。最後に気味が悪くなったので、無視を決め込んだのですが、どう見ても今までの旅行の説明会に来た人の中では異質な人たちでした。3回ほど説明会に続けて現れたあと,MIBの人たちこなくなりました。考えすぎかもしれません、でもどう逆立ちしても説明の付かないおかしな人たちでした。(日本の方ではなかったですし)

     説明会を続けても、一回せいぜい10数人くらいが来て、同じ質問を繰り返し、私たちも「大丈夫です、今までも30人ほど中国に入ってますから」と同じ返事をする繰り返しでした。そして説明会参加者の中から一人か二人の旅行申し込みがあって彼らは2、3ヶ月以内に出発する、それの繰り返しでした。

     私らが出来うる限りのことはやりました、使える範囲内ではありましたが限度いっぱいの予算を使いました。芳しい反応がありません。 それはおまえらの会社が名前が一般に知られてなかったからだろうと思われる人がいるかもしれませんが、この時期でもう10年近く割り引き航空券を扱っていましたし、インドとかバンコックへの航空券販売ではかなりの人数を出していました。78,79年頃は年末のインドは私のところが一番お客さんの人数が多かったのです。一時はインドへの観光渡航者の7%から10%くらいは押さえていました。ピークには私らが押さえている席をまとめて30席とか40席を、準大手に転売したこともあったのです。(さすがに大手は当方に席の買い付けにはきませんでしたが)

     やはりマニアックな人たちには人数の限界がありました。全世界を対象にすると旅行のマニアックな人たちはそこそこの数にはなりますが、その中でも中国を対象と言うことになるといくら竹のカーテンが開いたと言っても、一挙に数が減ります。この頃は私たちそんなことは全然分かっていませんでした。自分たちなりにどんどん情報を充溢させて価格を下げていけば、一般の普通の人たちのアンテナに触れ彼らもブローカー的な業界も使ってくれるようになると思っていました。

     マニアとかマニアックな人たちから普通の人たちの間はなだらかな坂の様な物をイメージしてました。少し長い距離なんだけど歩いていけば(時間がたてば)どちらへでもいけると。でも実際はそうではありませんでした、途中は少し深い溝があって、ちょっとがんばって飛ばないとあちらへは行けないもんだということがすこし分かってきました。(私らから見るとこっち側かな)

     もう一人フットワークの軽い人達がいました。「ダイヤモンドビッグ社」の人達です。漢字で書くと「大金剛石社、金剛石偉大社」かな、うむ漢字で書くとなかなかすごいもんがあります。(そういえば、このダイヤモンドという名前が入った社名のおかげで、私と編集の人が北朝鮮へ行ったとき、ビザが簡単に降りたエピソードもあります。後で機会があればお話ししましょう) ちょうど彼らはヨーロッパとかアメリカの自由旅行の本「地球の歩き方」を出版し始めたときでした。その中で中国編は、インド編に続く4冊目だったように思います。この話の頃から一年後の83年年末でした。

     インドに関しては私たち、ガイドブックはあのベストセラー「インドを歩く本」を作りましたし、インドのマーケットを数パーセント押さえてましたし、ブイブイとは言わないまでもピースマークくらいは出してた頃です。ところが「金剛石偉大社」がインド編を出して以来「インドを歩く本は」ぱったり売れ行きが止まり、旅行もダイヤモンドビッグ社の学生向けのツアーが始まって以来、1年くらいで(つまり春休みと夏休みの2回で)、集まる数が激減してしまいました。

    ブランド力の強さにそしてマニアと呼ばれる人の少なさに唖然としてしまいました。(相変わらず私たちの所を利用してくれる人もいましたが、人数は7割減というとこでした。旅行費用は私たちのとこが同じ条件で数千円安かったですけど、違いといえば、金剛石偉大社がカラー印刷のパンフレット、当方一色刷のぺらぺらのビラ、相手がビニール製の綺麗なネームタッグにブリキのバッチ、当方なんにもなし、相手が保険とかカードのパンフダイアリー空港の案内などの小冊子、当方手書きの空港の案内図にチェクイン方法注意点、現地インドの手書きマニアル)

     インドの再現はしたくありませんでした。共同企画の話がダイヤモンドビッグ社の方からあったので渡りに船です。私たちにはノウハウと手配技術があります。ダイヤモンドビッグ社の方にはブランド名と自前メディアがあります。でも本当は私は少しビビッテいたのです。MIBっぽい人も来ましたし、日本の中国大使館ではまだ自由旅行用の個人ビザはとれませんでしたし、いかにもグレ−ゾーンの商品ではないですか。お客さんはカウンターに来ると必ず、他の大手では駄目だし、公的機関で聞いてもそんな話はないといってる何であんたがたみたいなとこで大丈夫なの?

     この期に及んでまだ後ずさりしてる私に向かって「金剛石偉大社」の編集長一言「森脇さん、あなたがやってる手配、香港では合法でしょ」

     偉い、あんたは偉い、さすが「金剛石偉大社」。これからそれいけドンドンです。この頃のダイヤモンドビッグ社すごくフットワーク軽かったっすよ!

     お宅はブロ−カー風だから、広告とか企画は一カ所大手の名前を借りて形式を整えてなんてなかったですから。それにこの編集長他の人より一段と薄汚かったです。(誤解しないでくださいね、におうような薄汚さではなく、雰囲気が薄汚かったです、ちゃんと洗ったGパンに綿シャツでしたよ) 

    なかなか本筋に帰れません、もうそろそろ本来の「旅行者」に帰りますから。これらは伏線だと思って読んでください。

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