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トラベルメイトトラベルメイト98

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「トラベルメイト98」
  1. 【 旅行者(7) 】


  2.  80年始めから85年に掛けて大ブレイクした目的地があります。この例を参考にしながら旅行者の実像に触れてみたいと思います。
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    ちょっと言葉の定義をしておきます
     ここで「旅行者」としたのは、一般に言われる海外旅行をしてる人という意味
    で使っています、観光客も含めています。DJブーアスティン、等の定義は観光
    客と旅行者を分けて考えたものですが、ここ#10では、2種類の相対するもの
    という見方はとりません。
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     その目的地とは竹のカーテンで遮られ続けていた「中国」です。確か1981年やっと一般の旅行者に門戸を開きました。それまでも「日中友好何とか訪中団」の名前を付けた団体旅行であれば中国入国は可能だったのですが、個人で何の資格も所属もなしにただビザの申請さえすればOKとなったのは81年からです。日本国内での申請はまだ無理でしたが。

     じゃあどうすればいいかというと、香港から中国へ入ればよかったのです。入国後旅行していい都市は最初は広州、上海、北京等の主要8都市だったか9都市だったと思います。これらは開放都市と言われこれ以外の都市へはビザ以外に「外国人旅行証」の申請が必要でした。(もちろん場所によっては、旅行許可がおりないところもありました)82年からは、開放都市が29都市に増えより旅行がしやすくなってきます。

     私たちは81年の11月か12月かに、香港では中国への個人旅行のビザがとれるという情報を手にしました。最初は半信半疑です。毎年こういう情報が乱れ飛んで調べていくと、香港発とかパリ発のパッケージ旅行に参加した人の話に尾ひれが付いて完全に個人旅行をした人がいるという話に変わっていたと言うことが多かったのです。

     でも今回は違いました、実際うちのお客さんが2週間ほど広州と桂林、上海に行って来たのです。私たちは狂喜乱舞しました。「たたたた、竹のカーテンに隙間が空いた」てな訳です。そのころマニアの間で絶大な人気を誇っていた旅行機関誌「オデッセイ」の編集長等ともども「これからは中国自由旅行の時代だ」なんて大いに盛り上がりました。

     彼女の(旅行者は女性です)話を聞きますと、香港で中国のビザの手配とか香港広州間の鉄道の切符を買ったのはチュンキンマンション(重慶飯店)のなかの旅行会社だということでした。たぶん今もあるとは思いますが「TIME TRAVEL」です。

     料金は忘れましたが、週末でなければ、例えば火曜日に頼むと、一日おいて木曜日の朝の香港発広州行きの汽車に乗れその日の午後には広州に到着できる、これよりもっと安くすますにはマイクロバスで、ローウーの2つ手前の駅まで行って(確かフェイリンとか言いましたが)ここでローカルの汽車に乗り換えて国境の町ローウーへ、そこでガイドに連れられて小さな川を越え中国側のシンセンへ、ここから急行列車で広州へ、そして広州着夕方のコースもありました。

     この情報を聞いたのが82年の1月頃だと思います。早速、DM、電話作戦です。新しもの好きのお客さん、月に一人とか二人ぽつぽつ出発してくれました。広告も出しました。「宝島」とか「オデッセイ」、どうもブレイクしません。メディアにもDMをかけました。100社ほどです。ほとんど知り合いもコネもなかったからでもありますし、いったいどこのセクションにDMしたら良いのかも分からなかったわけで、読者欄係とか文化部とか適当に宛名を考えて出しました。見事にこけました。どこも取材してくれません。

     ちょうど同じ頃、私たち「海外旅行を10倍に楽しむ本」という単行本を出版しました。これは無名の著者(私です)で、文潮出版という小さな出版社の割にはよく売れまして、初年度は9千部ほど、最終的には2万5千部売れた本ですが、その最後の部分に著者の紹介と一緒に中国がオープンになったので中国自由旅行したい人は連絡くれれば手配しますと入れておきました。これも少しは期待したのですが、全く反応なし問い合わせさえ「0」でした。

     そうこうするうちもゴールデンウィーク、やはりお客さんからもらった情報より誰か自分たちのスタッフが実際旅行しなければ気分が乗らないんではないかと言うことで大阪のスタッフが一人出発10日ほどかけて現地調査、ついでに香港で売られている中国の自由旅行の英文ガイドブック2種類購入、一冊は「ジャーニー、イントゥー、チャイナ」もう一冊は....どうしても思い出せません。もう一冊の方が有名だし使いやすかったのですが。香港の旅行会社も、タイムトラベルではなく大元の旅行会社と契約、日本から前もってパスポートのコピーを送っておいて、到着の次の日の朝にはシンセン経由で中国に行けるように手配を作りました。資料も充実、といっても英文の本2冊の要約を小冊子にしただけですが、それでも日本では中国自由旅行に関しては最初の日本語資料です。

     用意万端、夏に向けてGOでありました。問い合わせは今度は少しはありました。ほとんどが半信半疑の問い合わせでした。「日中平和観光にも問い合わせました、近畿日本ツーリストにもJTBにも問い合わせました、中国大使館にも問い合わせました、どこも中国内自由に旅行できると入ってくれません、何でこんな所が(私らの所です)それが出来るのですか。」問い合わせも、実際に来社する人も半分喧嘩腰です。でも今は、実際にスタッフが言って撮った写真があります、使った切符の切れ端があります、中国ビザのコピーがあります、日本語の小冊子と香港から中国への入国マップがあります。全部を見せて説明します。

     だめでした。「何でこんな所が」「麻布の中国大使館に聞いたけど国内の自由旅行なんて出来ないと言っていた」これの繰り返し。何人もこられました、その意味では少しは広告の効果はあったようですが、全く信用してくれないとは!

    次に続きます。あと2回くらいで旅行者の項は終わります。すみません長々続けまして。もうちょっとの辛抱です。  

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