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トラベルメイトトラベルメイト98

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「トラベルメイト98」
  1. 【 最近の旅行者(3) 】

     私らが、旅行は遊びだから気楽に行こうよと呼びかけると、あんたそんなもん当たり前のことです、最近は青筋たてて口を真一文字にして深刻ぶってる人なんかいませんよ、と返事が返ってくること多くなってきました。それはそれでいい傾向だと思います。多分大部分の人が気楽に肩の力抜いて旅行を続けていると思います。

     しかし私達の間を情報でつなぐ役目のメディアの一般的な傾向はそうはなっていません。ほとんどの新聞ではまだ、「ショッピングにうつつを抜かす日本人そうかと思うと現地の人達とのふれあいを求める若者が増えている。」の調子が普通です。

     速報性と、影響力で一番の力を持つTVも、「猿岩石」のユーラシア大陸ヒッチハイク、「ドロンズ」の南北アメリカ縦断ヒッチ、ドキュメンタリードラマ「深夜特急」等が悪くはない視聴率をあげています。一番のこれらの共通点は、現地の人とのふれあいの旅、そしてその中でいかに彼らが成長していったか!!!

     げーーーーーーー!!!!!!

     電波少年の番組の彼ら必死でしたよね、旅行止めてもいいし、続けてもいい、その時の彼らの顔、嫌々飛び込みセールスさせられる、自動車会社の新入セールスマンでしたよ。止めれば楽、でも今後仕事来ない、やればしんどいでも仕事来るし有名になれる。決して楽しみのための旅行ではありませんでした。新手の海外バラエティ番組としてはなかなかの出来でしたが。

     海外向けのガイドブックは両極端に分かれています。ブランド品の宣伝がぎんぎんに入った、観光地と高級ホテルレストラン、ショッピングセンターのリストが羅列してあるガイドブック。

     いかに面白い旅行を安くあげたか安宿の情報、旅行中のエピソードも交えてちょっと自分を探しにいけるような本。

     それと、自分の旅行体験を書きつづったエッセイ。

     この最後のジャンルの本、日本がまだまだ貧乏だったころの、そうですね1960年後半から70年初頭までの旅行者のイメージと考えを引きずったままです。TV局の番組も同じ物引きずってます。

     この頃は、世界はまだのどかでしたし、(ベトナム、カンボジア等はもう発火してましたけど)、団体旅行で行く人達はそれなりのお金を持っていけましたし、個人旅行してる階層とは、文字通り日本で住んでる階層が違っていました。

     大手企業とか政府関連の駐在員は、個人旅行者を目の敵にしていました。事故を起こしたり、麻薬に手を出してつかまったり、異性の問題(この頃の個人旅行者はほとんどが男性でしたので、異性問題と言うより女性問題)を起こして現地の人から悪評をもらうのは、個人旅行者である。

     「無銭旅行」をすると言いながら、実は乞食のような形で、日本びいきの人達にたかって(フィンランドなど日本人評価高かったです)迷惑かけたり、最終的には日本人駐在員とか日本大使館の手を煩わしている。

     ほとんどのメディアの論調はこんな感じで好意的ではありませんでした。メディアが個人旅行者の文化とか考えに好意的とは言わないまでも、注目始めたのは、1980年も中盤になってからです。

     記憶定かではありませんが、中上健次がインドのデリーからイスタンブールへ走る「マジックバス」に乗ってレポートしてるのをTVのドキュメンタリー番組で見たことあります。80年代に入ってたとおもいます。

     そしてあまりの場違いさに、落胆したこと覚えてます。彼は和歌山から出てはやって行けない人なんだと。スゲー毒あるけど、「サワ」さんとか、面白さでは、「ポン」、温厚なレポートなら「サイ」さん等使えばギャラもそうそうで面白いドキュメンタリー出来たと思います。

     ま、もっとも当時のTV局のディレクターにこの人達、使える人いなかったと思います。それ以上に多分知らなかったんではないかと思います。

     この三人何者かって!

    御殿場、ブダガヤ、ラジギール、がキーワードです。
    (おおー!ディープです)
    ためしに、LYCOS で「ポン」を検索してみたら、山田詠美の愛称と出てきましたが全然違います。

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