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トラベルメイトトラベルメイト95

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「トラベルメイト95」
  1. 【アジアンジャパニーズと言う本の初心者の読み方】

     小林紀晴著、情報センター出版局刊、「アジアンジャパニーズ」、九十五年五月第一刷り、同年十一月第九刷り、かなり売れている本みたいです。著者はだぶん逆算して千九百六十八年生まれ、今年二十八か二十七才、写真と文章の両方を一人でカバーして本を作っている様です。その中の最初の部分「地図とカメラ」十五ページの所から参考にさせて貰います。この項は十八ページあります。プロローグに続く最初の部分なので著者もかなり入れ込んで読んで貰いたい所なのだろうと思います。

     「まずバンコックへ行く飛行機の中から話は始まります。隣にはOL三人組がいたけれども、自分と全く違う旅なので喋る気にはならなかったそうです。そして飛行機はバンコックに到着して入国はしたけれど何も考えてなかったので、午前零時を回っていたけども行くところがなかった。あれほどいた日本人は、ほとんどいなくなった、ほとんどがツアー客だったようだ。」

     ここで一つ彼は大きな勘違いをしています、ツアー客は自分が今からしようとしている行き当たりばったり旅に比べたら程度が非常に低い物で、相手と話す価値もない、そして予定を立てて空港からいなくなる人は皆ツアー客だ。

     初めての海外旅行の時は特に一人旅と気負って旅行にでるとこうなりがちです。初めての超初心者と、パッケージに参加する女の子三人組とどこがどう違うのでしょう。しかも相手の三人組はその日に泊まるホテルも車もちゃんと手配してから飛行機に乗っています、一方小林氏は手配どころか個人旅行者がよく泊まるホテルの名前さえ情報を持ってきてない。ツアー参加者でなくとも夜遅く到着するときは一泊目のホテルくらい手配していくか、あるいは空港のどこでホテルを頼めばいいかくらい調べて行くのが普通です。日本でタイ国政府観光局に電話を一本すれば済むことです。それを、「確かに私自身にも分からない」(今夜行くところが)、すかすんじゃねーよ!

     気の利いた個人旅行者なら空港でうろうろしないで、旅行者がよくたまる宿に直行です。どんな安宿でも、空港のベンチで過ごすよりましです。まず体がその方が楽です。九十一年のバンコックの空港で、日本から何の飛行機に乗っていったのか知りませんがほとんどがツアー客だったなんてあり得ません。ほとんどが個人客だったと思います。ツアーだってこの頃は二人から申し込めるパッケージがほとんどで、十人とか二十人のいわゆる団体旅行は、この日たまたま同じ飛行機にいたかも知れませんがあまりポピュラーではありません。要するに、ほとんどがツァー客だったのではなく、私一人が何の用意もしてきてない超初心者の、個人貧乏旅行希望者だっただけなのです。

     十七ページの最後の部分、「何を言っているのか分からない部分どの顔も恐ろしく見えた。日本では決して味わったことのない感覚。僕はざっくの中からカメラをとりだし、静かにシャッターを切る。斜めに傾いたファインダーの中で、熱帯の人間達の姿がはるか遠くに覗いた。」最初の外国でおびえるのはよく分かりますがならば何で最初から簡単な情報と、手配をしていかなかったんでしょう。

     おびえたのは自分がなんにも考えずに来たからであって、タイの人にはなんら落ち度はありません。ましてや熱帯の人間等と言われる筋合いはこれっぽちもありません。この表現一昔前だと、平気で土人とか現地人とか言われてる表現ではありませんか。少しひねってソフトにはなっていますが、タイの人に「ヘイ、トロピカル、マンとかトロピカル、ガイ、」とでも呼びかけたら、かれら喜びます?

     彼小林さんは過ごさなくとも言い長い夜をバンコックの空港で過ごし、蒸し暑い強い日差しに東南アジアを感じながら鉄道の駅に行きます。そこで「アクシデント、マイライフ」を繰り返すカナダ人と一緒になってバンコック中央駅まで行きます。

     小林さんは、彼が自分の人生にトラブルがあってカナダのバンクーバーからタイに来て盛んに「アクシデント、マイライフ」(たぶん小林さんの解釈によれば、事故、トラブルが多い私の人生)と嘆いていると思ってるようですがこれすごく違うと思います。まずばりばりのカナダ人なら「アクシデント、マイライフ」なんて言いませんでしょう。英語が片言しかはなせない日本人ならいざ知らず。多分これは小林さんの理解能力が不足してるための聞き間違いでしょう。

     彼は多分「マイ、アクシデンタル、ライフ」か「マイライフ、イズ、アクシデンタル」とでも言ったのではないかと思います。確かこの頃アメリカで「偶然の旅行者」と言う映画がヒットしてましたからその「偶然の」=「アクシデンタル」に引っかけてしゃれたのかも知れません。

     多分カナダ人が言いたかったことは、不遇な俺の人生とか偶然が多くて先が読めない不安な俺の人生と言う意味を伝えたかったようで、具体的にトラブルが起こってるから困っていると言うことではないように思います。アクシデンタルと言う意味は、事故という意味よりも偶然に起こる避けがたい物と言う方の使い方が多いように思いますが。特に人生などと言う断定しにくい名詞に関係する時はです。後でまた「人生のアクシデントを抱えた彼には同情するが、」と言う一説がでてきますが、小林青年はどうしてもアクシデントを事故とかトラブルと取りたがっているようですがすごく底の浅い解釈ですよ。「人生自体がアクシデンタルな物なのです」

     ちょっとオタッキーぽくなりました、先に進みます。汽車の中でカオサンロード(バンコックの安宿街の一つ)はどこかカナダ人は手当たり次第に周りの人に聞き始めて、高校生らしいタイ人が連れて行ってくれることになると、彼は「アイアム、ベリーハピー」を繰り返した、なんと単純な奴だと小林青年は思います。これは小林青年最悪の選択です。自分がこれから到着するバンコック中央駅から安宿街までどう行くのか、安宿街の名前さえ知らないのに、自分の力で世界をみてみたいためと言う理由で、人にそれを聞こうとも思わない。たまたま汽車で一緒になった旅行者が必死に回りに聞いているのにシニカルに単純な奴だ、と結論づける。最初からコミニケーションを断ち切ってどうすんの!

     バンコック中央駅に到着してその後一緒に行こうと誘ってくれたカナダ人に、彼はいきなり誰かを頼るのではこの先が思いやられると言う理由で断って自分で宿を探すことにします。こんなもん、頼るとか頼らないとか、先が思いやられるような問題ではないように思うのですが。

     えてしてこりこりに、人生をかけた個人貧乏旅行希望者にこのタイプが多く見かけられます。しかも超初心者の段階で。自分の力でと大見得を切る割には、情報も準備も全然と言っても言いほど用意してありません。現地で行き当たりばったりが自分の力を発揮する場所だと思っているならそれは大きな間違いをしています。行き当たりバッタリで数時間かけて安宿を探しても、ガイドブックで目安を付けた後に三十分でそこへ到着しても結果は一緒、数時間かけて周りの人にも聞かず地図だけを頼りに安宿を探す作業がどんなにつらく危ないか。しかも前日の夜は、空港のベンチで夜を過ごして体はくたくた、最初の海外旅行、英語もそんなに達者ではない、よりによってバンコック(シンガポールなら少しはましかも知れませんが)、後でやっぱりトラブルに発展します。

     しばらく駅の中をうろついて荷物預けを見つけて、ザックを預かって貰い街にでる事にしたそうですが、確かバンコック中央駅の中に、観光案内所があります、そこで宿を聞けば直ぐ教えてくれます。駅の前にだって少し汚いけども食堂の上が商人宿になってるところもあるし、小さな運河をわたった中華街には有名な楽宮ホテルもあるし、ホンの歩いて二分で宿がちゃんとあるのに彼は何を考えていたんでしょう。

     しばらく歩く内に中国人らしい女の子と知り合います。バンコック市内観光を誘われます。ホテルも決まってないからと断ると、自分の泊まっているホテルがたぶんあいてるから来ないかと誘われます。少し迷ったが、これも何かの縁かもしれない。人との出会いが旅を面白くするはずだと思ってOKを出す。あれ、さっきは人に頼りたくないからカナダ人の誘いを断ったはずだし、汽車の中で周りの人にホテルの位置を聞くのもいやだったはずなのに。

     そして小林青年は彼女の頼んだタクシーで彼女が泊まっているとおぼしいところへ行きます。部屋へはいると突然彼女は服を脱ぎだしシャワーを浴びに行ってしまいます。さすがに彼もおかしいとは少し思ったのですが、体が動きません。スケベゴゴロが不安感に勝ったのです。

     「沈黙のまま、僕のTシャツに手をかける。濡れた細い腕が直ぐそこにあった。何をしようと言うのか」、
    あのねー、「何をしようと言うのか」じゃねーの!小林少年あんたは何をしたかったの?

    こういうストーリーは普通下心という気分があって成立する物なのですが。
     案の定男が入ってきます。典型的な美人局てやつです。しばらくもめた後、男を突き飛ばして小林少年は逃げます。逃げるときにも芸の細かいところを見せます。あの女の子はバスタオルを巻いたまま、一瞬うつむいて泣いてるように見えたそうです。

     何んでこんなみえみえの失敗談を巻頭に彼は持ってきたのでしょう。しかも文章は失敗の分析も反省もなく、一種の冒険話で終わっています。こんな失敗は一回くらいは誰でもあるよ頑張ってとでも言うつもりなのでしょうか。気を付けて読んでいくと反面教師としての典型的なエピソードですが、初心者の人が読むとなるほどと納得しがちのエピソードでもあります。

     旅行にでたことがない人とか、旅行にまだ慣れてない人はこの文章の中で、一人旅の旅行者のこだわりらしい物に納得します。

     一)ツアー客らしい女の子三人組に自分と全く違う旅だからと言う理由で話しかけなかった。

     二)自由な行き当たりばったり旅だから初日のホテルも、ホテルがある場所も何にも知らずに来た。そしてたくさんいた同じ飛行機の日本人はいつのまにかいなくなった、彼らは最初から行き先の決まっているツアー客だったに違いない。

     三)バンコック中央駅に行く途中、幸運にも安宿街の名前を知ってるカナダ人と一緒になり彼が一緒に行こうと誘う、しかしできる限り自分の力で世界をみてみたいし、いきなり誰かを頼るのではこの先思いやられるからと誘いを断る。

     四)途中、二十歳くらいの女の子と知り合い、一緒に観光しないかと誘われる、今日泊まるホテルもまだ決めてないと断ると、自分のホテルへ来ないかと誘われる、今度はいきなり誰かを頼るのではなく、これも何かの縁で、人との出会いが旅を面白くするはずだと思って、一緒に部屋まで行く。

     一)〜四)の行動の結果、美人局に引っかかり危ない目に遭う。やはり旅行はトラブルが多い物だ、小林氏はそのトラブルを乗り越えて一つ成長したんだ。そう思っている人はいませんか。

     私たちは絶対そうは思いません。こんなくだらない典型的なトラブルに巻き込まれて無駄な時間とリスクを背負った、運を一つ浪費してしまった。そう思います。よく自動車の事故等で引用される言葉ですが、三十回ひやっとする瞬間があれば一回は必ず大きな事故が起こる可能性が強いと言うのがあります。逆にひやっとするような小さな失敗を少なくしていけば、大きな事故になる可能性は減っていきます。今回、海外一人旅少年探偵団の小林少年は三十回全部をバンコック初日にして使いきってしまったのです。しかも不可抗力による物ではありません。簡単なことで避けられるトラブルだったのです。

     一)の所で、自分と違う世界の女の子だから話しかけもしなかった様ですが、そう思っているのは自分だけで目くそが鼻くそを笑ってるように思いませんか、言葉もあまり通じない、しかも到着したての知らない初めての外国で、下心見え見えで不気味な女の子の後について行くなら、ちゃんと言葉が通じて話題も共通なOL三人組と友達になった方がもっと面白いように思いますが。

     二)では、行く先の決まってない自分がいかにもツァー客より不安で恐ろしい体験をしたことが語られますが、前にも言ったとおり準備不足で初日の宿さえ、あるいは安宿街の街の名前さえ調べてこなかったから不安になっているだけで、こんな体験しなくても良い部類に入ります。バンコックが日本人がほとんど行かない辺境の地で情報が日本ではちょっとやそっとの事では手に入らないなら空港で真夜中どこへ言ったら良いのか迷うのも仕方ありませんが、バンコックですよ、タイのバンコック。しかも空港のベンチで眠るなど、旅のベテランになってそれなりにお金をけちるのならまだしも最初の海外旅行でしかも初日、何を考えてんの?

     三)カナダ人と一緒にカオサンロード(バンコックの有名な安宿街)へ行けたのに、自分で世界をみてみたい、人に頼りたくないと言う理由でそのチャンスを逃す。自分で世界をみることと、何の情報も持たずに行き当たりバッタリで闇雲に安宿を探すのとは何の関係もないように思います。まして人に頼るのは嫌だから、一緒に行くのをやめた、なんてのは理由にもならない、反抗期の子供が訳も分からず親の言うことを全部否定するようなもんです。

     今回は幸か不幸か無傷でエピソードを残しただけで話は終わります。でも可能性としては抵抗した後道ばたに重傷を負って放り出されていたという可能性も非常に強いのです。多分同じ事を五回繰り返したら武道の達人でもない限り三回はぼこぼこの状態になるでしょう。一回は今回みたいに幸運にも逃げ切れるかも知れません。後の一回はちょっと怪我はしても何とか逃げ切れるでしょう。どれに転ぶかはこういう瞬間になったら、偶然の確率に左右されます。文字通りアクシデンタル、ツーリストです。今回のように普通に行動していれば美人局に合わなくとも良い状況ならできうる限り避けてください。素直に考えて、自分の実力に分相応の行動をしていたらこうはなりませんでした。旅行を長く安全に続ける鉄則は、無理をせず臆病に素直にです。重大事故とか、重病になったとしたらあなたの旅はそこで終わりになります。そうなると楽しくはないし面白くはありません。

     ここでちょっと小林氏の体験をシュミレーションし直してみましょう。このエピソードの最後の部分、カメラで男の肩を殴るシーンから。「僕はカメラを握りなおし、男に向かって殴りつけた。それは一瞬空を切って男の後ろの壁に激しい勢いでぶつかった。目のハジにバスタオルを巻いたリムがちらっと見えた、そして目の前が花火のようにパート明るくなって、記憶はそこまでしかない。」

     新宿の格安航空券を扱う、B社は午前十時から始まります。昨日は忙しくほとんど徹夜に近い状態でした、ベテランの田中さんねむい目をこすりながらお茶の水にあるビジネスホテルからご出勤です。忙しいときには、徹夜に近いことも多いのでよく会社の払いでお茶の水のホテルに泊まります。十時ぴったりに電話がかかってきました。

     「こちら外務省の邦人保護課の土井(仮名)ともうしますが、田中さんですね、お宅のお客さんで小林さんという人いますでしょうか。バンコックで事故にあったらしく病院に入っているのですが身元を証明する物がなく唯一身につけていた荷物の預かり証が小林と言う名前なんです。それでその預かり証を頼りに駅に預けてあるにもつをあけたところあなたの名刺がでてきたんです。」

     田中「確かに小林さんという人、三日前に日本をでてますね、バンコックにパキスタン航空で出かけていますが」

     土井「当方も、ローマ字でのMR.KOBAYASHIという荷物預かりの半片で、多分日本人らしいと言うことしか分からないのですよ、荷物は日本製のカメラにコダックのフイルム、日本語のメモ帳、服の替えくらいしか中に入ってないので困ってるんですよ、手がかりはあなたの名刺くらいの物で」

     田中「その小林さんという人どんな状態なんですか」

     土井「親族でもない人に、プライバシーの問題もありますので詳しくはお伝えできないのですが、かなりの重傷で意識はないとのことです」

     田中「そうですか、じゃあちょっとお時間をいただけますか、連絡先とか漢字の名前をFAXしますので」

     こういうケースの場合でも今までの経験からしますと、連絡先の電話番号をいったん貰ってからこちらで番号調べて、先方がはたして本物か、名前をかたってないか調べてからでないと危なくてうっかりの事も言えません。警察ですと言われて折り返し電話しますと貰ったナンバーが調べるとそうでなかったりすることもあるからです。外務省の代表ナンバーにかけ、邦人保護課の土井さんお願いしますと直通の番号を貰っていても確認の電話をします。ちゃんと確認の理由はあります。

     田中「土井さんですかすみませんさっき電話貰った田中ですが、メモなくしてしまってもう一度FAXナンバーもらえませんかいま直ぐ送りますので。」

     これで先方に土井さんが居ないと、何らかの情報入手の偽電話です。ちゃんと土井さんはいました。

     田中「それとこちらはどう動いたら良いんでしょう、まだその入院している人が小林さんかどうかは断定できませんよね、留守宅を探して連絡をするのも早すぎるように思いますし、間違いだったら大変ですし」

     土井「もうちょっと留守宅に電話するのは待ってもらえますか、こちらで確認作業を進めてますので」

     田中「うちも、バンコックには代理店がありますのでそちらの者にも少し動いて貰います、保険をこの方かけて行かれてますので保険会社の方にも連絡とって調べて貰います」

     電話を切った後手配のカードから現住所と漢字の名前、それとたまたま実家に出発前三日間はいるからと貰った実家の住所と電話番号、を外務省にFAX、直ぐバンコックの代理店に電話お客さんが入院している病院に確認に言って貰うことにする。その日の夕方保険会社からFAXが入ってくる。その中に「COMA」と言う単語がありました。私ら旅行会社の者も日頃使う旅行関係の英語はよく知っていますが、医療関係ですと不得手な部分も多いのです。でもどっかで聞いたことのある言葉です。「コマって何かな、聞いたことのあるような単語だな、誰かコマて英語分かるか」

     誰も返事がありません、田中さん辞書を引くことにしました。発音は「コーマ」意味は昏睡、そういえば映画で「コーマ」というのがあったような気がします。要するに、バンコックで道ばたに意識不明で倒れており、バンコック中央駅の荷物預かりの券以外身元を証明する物がいっさいなく、今病院で昏睡状態であるとのこと。手術をするかどうかはCTスキャンの結果待ちで、脳内出血の疑いが濃いとのFAXでした。

     代理店のスタッフに直ぐ保険会社からのFAXを転送、病院に行って貰ってる別のスタッフからの連絡を待ちます。二時間ほど経ってから病院から帰ってきたスタッフから連絡があり、保険会社からのFAXと同じ様な報告があったが、直接は本人とは面会できなかったとのこと。家族が明日あたり飛ぶことも考えて明日のバンコック空港への出迎えと市内のホテルの予約を頼む、ただし本人とまだ確認されていないのでキャンセルの可能性はあると伝えておいた。その日一日は、バンコックへの連絡にかかりきりで終わってしまいました。

     後で聞いた話によればその日のうちに荷物を大使館の人が再点検したところ、本人であると確信が持てる物がでてきたのそうです。外務省より連絡が行って本人の親族が緊急にタイに飛びました。残念なことに親族の手配は実家がよく使う旅行会社になったそうで当方の手配は無駄になってしまいました。幸い二日後意識は戻り手術も必要ないという事で、十日の入院の後日本へ帰ることになりました。

     かなりの確率でこういうシュミレーションになる可能性は、小林青年の場合ありました。もっと最悪の事だってあり得ます。本当に紙一重だったのです。「それから先はよく覚えてない。狂ったように走り続けた。ただ逃げるとき、後ろにリムがバスタオルを体に巻いたまま、茫然と立っていた。薄汚れたコンクリートの壁の前で、一瞬うつむいたその顔は、何故か泣いているように見えた。」なんて、格好付けてる場合じゃないのです。

     大体が、今日知り合ったばかりで、そのうえ美人局のプロで、こいつカメラ持ってるなんて男の方に伝える、片割れの女がうつむいて泣くような玉であるはずがありません。現実は圧倒的にかさかさに乾燥した事実しかありません、残念ながら。こう言うのをトラブルに酔うと言うのです。それはあたかも、酒で肝臓を悪くしたノンべーが、いかに俺は酒の無茶のみをしたか自慢するのと同じ事です。

     トラブルに関しては、ほとんどの人が何とかなったとか時が解決してくれると言われることが非常に多いのですがこれも統計上のちょっとしたトリックで、何ともならないケースもたくさんあります。私たち二十四人が持ち寄ったトラブルには、噂も含めすごく悲惨な例も多いのです。今回は詳しく一例ごとに説明はしませんが、通常の単行本五冊や十冊ではそのエピソードは載り切れません。何故そんなに悲惨なケースが紹介されないかと言いますと、理由は単純です。最も悲惨なケースの場合、本人が喋ったり書いたり電話したりもう出来ないからです。

     周りの人は、一親等だろうが親友だろうが他人は他人です。悲しくはあるでしょうが、本人ほどこの体験を喋りたい、書きたいと言う欲望は大きくないはずです。方や、ぎりぎりで踏みとどまった人は、情熱をかけて体験を他人に伝えようとします。そりゃ本人自身の体験ですから腰の入れ方が違います。結果として、一番悲惨なことは紹介のされ方が間接的で数が少なく、何とかなった一歩手前のトラブルが情熱を持って直接的に詳しく数多く紹介されることとなります。そうなると一見トラブルは、頑張れば何とかなるような、取り返しはいつでも何とかつく様な錯覚に陥ります。

     頑張ったからトラブルが切り抜けられたのではなく、偶然最悪の事態にはならなかっただけの話で理由はこれっぽっちもありません。コインを投げて表になる理由も、裏になる理由もなくただ表か裏かがでるだけなのです。今回はたまたま表になっただけなのです。
     特に初心者のころは、頼りない自分が分かってるからそれを鍛えるためによけい意固地になることが多いのです。頼りない自分だけを頼る人はもっと頼りない結果になります。初心者のころは、自分一人でとか、人とふれあうとか、全く日本人はとか(考えてみたらあんたも日本人だろ)、何も現地のことを知ろうともしないツアー客はとかの、ちょっと見には自分だけの考えで実は誰でもそう思っているステレオタイプの考えは、頼りない頭に過重負担をかけます。この時期は素直に分からないことは事前に調べ、聞く事は聞き、知らない人にはむやみについて行かないと言う日本では幼稚園時代に聞いた言いつけを守り、体力の無駄な消耗を避け、兎の臆病さで行動しなければなりません。この「アジアンジャパニーズ」の巻頭の−地図とカメラ−の章は、良い反面教師のエピソードです。避けられるトラブルは、向かっていっては行けません。

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