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「トラベルメイト95」
  1. 【日本人と日本について】

     最後に最も海外関係とか国際関係で使われるフレーズ「日本人は、日本は」について話させていただきます。
     海外旅行をしていると、日本という国と、自分が属している日本人がどう思われているかはたして世界の中で日本人はどういう位置にいるのだろうか気になりませんか。色々なところで、沢山の人が「日本人は」あるいは「日本は」に続いて何か意見を述べています。前にも説明したとおりほとんどの場合その意見は決して誉めた物ではありません。逆に誉めた物があると何でも、カンでも理由もなく、日本だから、あるいは日本人だからと言う理由にもならない理由で誉めまくっているだけです。

     私たちも含め、海外旅行をしようとする人達は自分がなんであるか、おぼろげながらにでも概略を知っていないと旅行先で会う人達とどう話せばいいかと言うことから躓いてしまいます。これは何も文化とか哲学の話をする場合の話ではなく、到着した初日のホテルで受け付けの人と話をどうしたらいいか、あるいは目的地へ行く飛行機の中で隣り合わせになった外国人とどう話をすればいいか等の日常の会話から関係してきます。自信がなく自分たちの文化も自分自身も世界の孤児であるなんて思っていたら対等な話なんかできないじゃないですか。常に相手を上目ずかいに見て口に手を当ててにこにこ笑う以外、態度が取りようがないです。

     でも本当に私たち日本人は世界の中でも特殊な部門に入る民族なのでしょうか。トランジスターラジオをたくさん売っても哲学とか文化のない国、はっきりした意見のない主張をしない国、さんざん言い尽くされてきました。だから私は海外旅行にでてそんな日本と日本人である私を変えようとしている、なんて尻馬に乗るような意見もかなり一般的です。

    「甘えの構造」「縦社会の力学」「縮志向の日本人」等ちょっと前のベストセラーをとってもほとんど日本人論は定型パターンです。集団で動きほとんど個性がなく、物まねはうまいが独創性はない、真の個人が確立されてなくお互いなあなあで言いたいことも言わず後でぶつぶつ文句を言う。

     私たちってこんな情けない姿なんでしょうか、こんな情けない姿を治すために海外にでて国際社会を見て真の国際人になるために頑張らなければならないのでしょうか。そう思うと海外旅行は単純に遊びで行ってはいけないし、買い物も物の価値が解ってないから、若い女性とかおばさんは自分のお金であってもショッピングを楽しんではいけないなんて思わず納得してしまいます。こう思ってしまうと旅行は難行苦行です。個人旅行の場合は常に向上心をて現地の異文化とふれあい、庶民の生活の中に入っていかなければならない。団体旅行は最初からみっともない物だからみんな恥ずかしいことをしているという自覚を持ってうなだれて歩きなさい。

     本当に私たちの姿はそんなにみっともなくかっこわるい物なんでしょうか。独創性がなく物まねばかりで、優柔不断な日本人が何故経済的にこれほどまでになったのでしょう。

     独創性があって甘えの少ないイギリスが何故新しい産業とか製品がでてこないのでしょう。イギリスのコンピューター産業が世界で重要な部分を受け持ってるなんて話し聞いたことがありません。確かに植民地をたくさん持っていた時代からの蓄積はすごい物はあるのでしょうがダイナミックさにおいては多分台湾にさえ負けているように思うのです。

     日本人は経済的な発展だけで文化的な深みがないじゃないかと言う意見がでそうです。ですがね、「経済は文化の米です」同じ世代で経済と文化を同時に発展させることは不可能です。経済を発展させるためには、毎日寝る間も惜しんで生産活動に励まねばなりません。寝る暇もない世代が文化を作ったり楽しんだりすることは時間的にも体力的にも不可能です。そうして蓄積された経済の富で子供とか孫の世代が遊び始めます。富をエネルギーとして文化のパワーが花開きます。今は過渡期なのです。

     ビートルズの全盛期の日本のポピュラー音楽界のレベルと世界の音楽界のレベルでは天と地との差がありましたが、今は日本でヒットして世界的に有名になっていくバンドだって最近は多いのです。「クイーン」などもそうだったですよね。

     漫画とかアニメーションの世界では世界最高峰が日本でそれ以外先に進んでいる国はありません。アメリカ映画「ロボコップ」も子供向け番組「宇宙刑事シャリバン」の焼き直しです。あの「バットマン」とか「シザーズハンド」の監督ティムバートンは、怪獣「ゴジラ」のお宅だと言うことは良く知られています。アメリカ映画界でほとんどの俳優が一緒に仕事をしたがっている監督、クワンティン・タランティーノは、広島やくざの抗争を描いた深作監督作品「仁義なき戦い」をテープがすり減るほど見た結果「レザボアドッグ」を作ったのです。

     電気製品とかコンピューターの部門でも自動車の部門でも日本はかなりのところまで行きました。特にオーディオ、映像関連では日本の製品以外にメーカーはほとんどないくらい一時すごかったですね、CDも日本の規格です。

     普通のカメラ、ビデオカメラ、放送局の映像機器、テープレコーダー、もっともっとすごいのはファミコンを先頭とする日本のゲーム、これもアメリカのアタリ、コモドール社など足元に及ばない普及率です。

     陶磁器等の世界でも日本は超一流です。ここいらで持っていた技術はそのまま同じ焼き物の世界、セラミック製品につながっていくのです。装飾品の世界でも最高級品は日本で作られることが多いのです。パリなどで売られている高級な指輪とかアクセサリー類の加工の山梨県の甲府、養殖の最高級ミンクの北海道、案外最高級のオートクチュールを縫っているのは日本の工場だったりします。

     アウトドアの製品でも日本製はかなりのとこまでいってます。自転車の部品のシマノ、釣り用品のリョウビ、船外エンジンのヤマハ、ヘッドライトのパナソニック、服などの繊維の新素材の東レ。

     コンピューターでもソフト部門ではいまいちですが、ハードの方では押し寄せる台湾のメーカーと戦いながらもアメリカのかなりのメーカーの製品を作ってOEMしているのは日本のメーカーです。

     まだまだありますがきりがないのでこのくらいにしておきますが、これだけ世界の色々な部門で影響とシェアーを持っている日本が、独創性がなく、物まねだけで文化のない国なんでしょうか。特に物を売ると言うことでは優柔不断で人と同じ事をしていると売れる物もチャンスを逸して売れなくなります。これだけ売れていたという事は、それなりに早い決断と独創性があったからでしょう。

     一般的によく「明治以来富国強兵の政策に乗って西洋から科学と思想を取り入れ、二つの世界大戦を経て経済大国に日本はなったしかし今後は取り入れるべき先進国はもうない、だから物まねだけでなく自分自身で考え作る事が必要だ」と言われますが、これこそ考え間違いの元で、江戸時代にはかなりの水準の職人の技術と文化があり、たまたまそれが西洋の制作技術に触発され百年経って花が咲いたのです。少なくとも物を作る作業は何にもないところからコピーで始まるわけがありません。コピーするにもそれなりの技術の蓄積がなければできません。日本にも独自の文化と、他国から技術と考えを学ぶだけの共通性は十分にありました。日本だけが世界の中で特殊な考えと行動を持っている国ではないのです。そんな特殊な考えと行動を持っている国が、世界共通に売れる製品を作れますでしょうか?これだけ売れる物を作り、お宅の文化を輸出し、クイーンをビッグにした国が世界の孤児になるはずがありません。世界はある面では日本に近づきつつあるのです。

     もっともっと自信を持ちませんか。すべてのことについて日本はすごいとは思いません、ですがよく言われるほど、ダメな国ではないのです。

     ならば極め付きの反論がでてきます。「世界にあふれかえっている日本製品はよく目立つ、でもそれだからと言って日本人の顔は決して見えないじゃないか。」

     私たちは決してそうは思いません、見る人は見ているし判っている人はかなり増えてきているデモまだ少数です、だから相手に日本人の顔が見えないように見える、あくまで過渡期だと思うのです。もう少し経てば(たぶん二十年くらい経てば)それなりの評価を得ることができると思います。日本が特殊あるいは日本人は何を考えているか判らないというのは本質的な物ではなく、ただ目で簡単に見えるだけの形になっていないだけなのです。あるいはもう形になっているけども相手が慣れてないのでまだうまく見えないのかも知れません。

     先にちょっと挙げただけでも沢山の世界水準で通用する物がありました。だから焦らないでください。形ある物が最初に世界にでていきます。(つまり日本製の漫画、電気製品など)それから相手がイメージを作ってくれるのです。

     ここでちょっと待ってくれ、「漫画とか、アニメとか、電気製品ではなく、日本人の顔というのは文化のことを言っているので、全体の日本人自体が世界で理解できるだけの考えと行動が伴っているか、世界で通用するだけの国際人が何人いるだろうかそこんところが問題にしてるんだ」ときそうです。

     そうです、本質的にはそこん所がものすごく問題です。庶民(いはゆる一般的には女子供と言われることかも知れません)が楽しむ娯楽の部分では世界共通どころかそれ以上のレベルです。物を作る部分つまり工場の部分では世界でも超一流です。

     アカデミックな文化系の関連では多分インドにさえ足元に及ばないでしょう、工場のブルーカラーではなく高級なホワイトカラーの部分ではアメリカの半分も能率が良くないでしょう。マスメディアの部分ではどうでしょう。その一言が世界に影響を与えるような人物とかメディアはまだまだです。CNNのスター記者ピーター、アネットはまだ日本にはいません。サッチャーもいませんしケネディもいません。

     一番文化の派手な部分で日本はまだスターを持っていないのです。独創性がなくて物まねで、優柔不断で、自分の意見がないのは、私たちのレベルの問題ではないのです。物書きとか政治家とか小説家新聞記者ニュースキャスター映画監督大学教授高級官僚等の、社会の上にのっかていて一応文化的なことを頑張って貰う予定の人達が、独創性がなくて物まねで、優柔不断で、自分の意見がないのです。

     そんな自分たちの姿を、私たちに投影されても非常に困るのです。ほとんどの日本人は、それなりに勤勉で、世界に通用する物を作り、自分たちの娯楽でも超一流の物を作り上げました。上の部分が動くのはこれからです。この部分は一見革新的ではありますが、本質は今の立場を変わりたくない保守派です。

     ですから今いる人達が変わっていって新しい日本の顔になることを期待してはいけません。多分これから、漫画とか。ゲームとか今の音楽などにどっっぷりつかっていたひとたちか新しく日本の顔になっていく物と思います。今いる人達の総とっかえが起こるように思います。そしてそれは、日本人である必然性もありません、良い物なら人間だって輸入してしまえばいいのです。それまで日本人は特殊な考えで物まねがうまく世界の孤児だとまだまだマスメディアで言われ続けるとは思います。本当の所は私たちは悪くないです、

     もっと自信を持って良いと思います。ほら、私たちは任天堂を持っているし少年ジャンプもあるし、ドラゴンボールもセーラムーンももっています。ドラエモンのどこでもドアだってあるわけですから。
    自信を持って良い旅しましょうよ。

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