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入門講座理論編ー(39)
国内で趣味だったことは海外でも同じ趣味のものは理解しやすいです。国内で親しんでるスポーツなら海外でも同じスポーツは簡単に興奮できます。
海外で現地の人とふれあって本当の文化を知ろうってか!!!!!
日本でも、毎日通勤通学時に「友達になりませんか」とふれあい求めて他人に話しかけてますか?これってちょっと気持ち悪いと思いませんか。まるで、何か新興宗教かマルチ商法の勧誘じゃあ、ありませんか。
日本国内でもちょっと気持ち悪いこと、海外でもやりますか?なーんにも無いところで頭空っぽにして、自分でも気が付かなかった新しい自分を見つけたりしますか?そんな高尚な事日本でも日々やってますか。頭空っぽにして快感を感じるのは日本で日常ぎりぎりまで頭酷使してる人だけです。
元々、生活に追われ時間の余裕が無く日々同じ繰り返しで何日も、何ヶ月も、何年も過ごしてきてる人が急に海外にでたからと言って人生変わるとは思いません。
「現地の本当の文化を知ることは無上の喜びと快感にあなたは浸る」こんな事が簡単に手っ取り早く出来るなら、どんな人もどんなことしても、すべての人の人生は簡単にバラ色になるでしょう。
千歩譲ってこれらが簡単に出来たとしても、帰国後普通の生活が待ち受けているほとんどの人にとって、海外の本当の文化知ったからと言ってそれが何になるというのでしょう。それ周りの人に話しますか、どこか発表しますか、誰かが、是非体験談を聞かせてくださいと依頼してくるのでしょうか。簡単に出来ることは沢山の人がもうやってしまっています。
一ヶ月のアメリカ一人旅の体験を「アメリカのドライブインでは」と始めたくとも、誰がどこで聞いてくれるというのでしょう。インド3ヶ月貧乏旅行の冒険談を発表しようとしても、最近ではそういう体験は多すぎてちっとも希少価値もユニークさもありません。
昔は、海外に出かけること自体が「個性的」であり得ました。少数の人しか海外に出かけることが出来なかったからです。その代わり海外に出かけることは大変な労力とリスクと資金力が必要だったのです。(こういう時代は1960年代後半まで、百歩譲って1973年まで、)
個性的でない代わり、余裕持った遊びが可能な時代になってきました。海外出かけるからと言って、ピンクの帽子にピンクのワンピースとか、オーダーメードのスーツ作る人いませんでしょう。通常の旅行なら、日頃着慣れているカジュアルなものを洗濯して、ちょっと気に入っているブランドのスーツ旅行鞄に放り込むだけで十分な旅支度が出来ます。そこまで日本全体のレベルがアップしてきたのです。場合によっては、汚れたもの鞄に詰め込んで旅先で洗濯に出す人もいます。いわゆる発展途上国なら、クリーニング代びっくりするほど安いですからそれも悪くありません。
教養至上主義強迫観念症の時代はもうとっくの昔に終わっています。
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