<<前のページ 次のページ>>
-
入門講座理論編ー(38)
「こんなはずでは、明日ならうまくできるかもしれない、これは自分の実力ではない、たまたま運が悪かったのだ。」
そう思ってもかまいません。そのときはそうとしか思えなかったのですから。
で、次には同じ状況になるとまた同じ後悔の繰り返しです。
「こんなはずでは、あのとき一緒にいた友人Xのせいだ。あいつが変なこと言ったおかげで現地の人とうまくコミニケーションできなかったんだ。」
そう、人のせいにすると心は軽くなります。それも一つの方法ではあります。残念ながらその方法も根本的な部分が変わってないのですからまた次の後悔が回ってきます。だんだん重さと陰湿な実感を持った大きなものになっていきます。
回数が重なるとその後悔は耐えきれないくらいの重さになって、胃の内部に張り付きます。こいつは背中の鈍痛と肩とか首の張りを引き起こします。目もしょぼしょぼしてくることあります。
我慢しきれなくなったとき、実は自分の等身大の大きさは、イメージの三分の一から十分の一の相似形の縮小版だと自覚せざるを得なくなってきます。そのとき二つの選択ができます。
1)仕方ない、何回も同じ失敗するのはこれだけのものしかない自分にある、と「諦める」。
2)そうではない、これは自分ではない、本物の自分はきっとどこかにある、「絶対探してやる」と頑張る。
最終的に結果は一緒になるとは思います。もしあなたが150才までの寿命があったとしたら。もしあなたが普通のように80歳前後に寿命がくるようでしたらすごく遠回りになる(2)の選択はすべきでないと思います。
「諦める」これをまた広辞苑で引いてみましょう。
P26、「諦める」
(「明きらむ」2の意味から)思い切る、仕方がないと断念する、
では、「明きらむ」は?
1)心を明るく楽しくする
2)明らかに見極める、事情などをはっきりさせる
1)の意味など、「遊ぶ」にも通じるなかなか良い意味ではないですか!!!
2)だとしても、明らかに事情を見極めたとしたら、次の行動が取りやすくなります。
どんなに粋がっても、取り繕っても、メッキはメッキです。それが通用するのは初心者同士の間だけです。あなたは多分現地の生活してる人にとっても、旅行のマニアにとっても肩がこちこちになっている、微笑ましい初な観光旅行者にしか見えません。
だからまず「諦め」なさい。其処からすべての一歩が始まります。次に「遊ぶ」ということに徹してください。何の前提条件もない「遊ぶ」ということにです。それはあなたにとっての「遊ぶ」事を選ぶと言うことです。
日本で何がしたかったのでしょう。何が趣味でした。何したら楽しかったですか。あなたにとってのんびり出来るととは何だったのでしょう。それらが「海外旅行」にとても大事なことなのです。
<<前のページ 次のページ>>
↑ページ最上部