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入門講座理論編ー(36)
(9)の「もてあそぶ、からかう」は他人を何かするという意味ですからこの話からはずすとして、自分で「遊ぶ」意味は、本来の(1)〜(5)の意味で使いたいものです。海外旅行は単純に遊びであってはならないとする風潮は「遊び」の意味を、(6)〜(8)に採っているように思われます。
海外旅行という遊びはすごく面白いものです。そのためには、今までの「旅行用OS」をすべて捨ててください。参考にするのもいけません。
沢木耕太郎OSも、蔵前仁一OSも、下川祐治OSも、小林紀晴OSも、司馬遼太郎OSも、中野孝次OSも、椎名誠OSも、藤原新也OSも、遠藤周作OSも中上健次OSも、五木寛之OSも、とにかく少数の人を除いて(小田実とか北杜夫、初期の立松和平等....。)ぜーんぶ落第です。
なぜなら「遊び」の本質を何も理解してないからです。多分2次大戦後のぼろぼろな発展途上国時代の貧乏性を意識しようがしまいが、無意識の世界にまで染みこんだ感覚に影響されているからです。「遊ぶ」ということに必ず但し書きを何かつけないとこの人達は受け入れることが出来ないのです。
彼らは「遊ぶ」意味を(7)の「金、土地、道具、等が利用されないでいる。」に無理矢理はめ込んでいます。せっかく海外に出かけたのにその体験を有効に利用する事をしていない、だから現地の人達の生活に触れ文化を学び交流をすれば無駄ではない。
そうしたい人ならかまいやしません。それがその人にとって楽しいわけですから、でもそうしたくない人も沢山います。
よくわからない人もいます。海外旅行へ行って何をしたらいいかわからない人もいます。わからない人は有名作家とかライターの書いたものとかTVでの放映を見て参考にしようとするでしょう。特に初心者はそうです。其処にはほとんどの場合「遊びに行く場合の言い訳」が延々と表現してあります。「遊ぶ」のに何の言い訳も理由もいりません。
「(2)楽しいと思うことをして心を慰める」これで十分でしょう。そのために海外へ出かけるのです。もう一歩踏み込んだとしたら、「心を慰める」目的もなしでかまいません。だって遊びに行くのですから。
出来ましたら「(4)子供や魚鳥などが無心に動き回る」これで行きたいものです。海外旅行に限らず「遊ぶ」ことには自分がやりたくないことをやらないと言う鉄則が必要です。(これは原則で、現実にはそのときやりたくなくともやらねばならんこともあるでしょう。このあたりのかねあいは、毛沢東の戦略と戦術のゲリラ理論など参考になさるとよくわかります。)
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