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入門講座理論編ー(35)
今の日本の社会では10日間とか2週間の休暇を取って遊びに行くことは学生とかプータロウなら経済的なもの以外の制約はありませんが、いわゆる社会人になってからでは歓迎はされません。
親の介護の休暇とかボランティアなら少しは認められるようにはなってきてるようです。仕事休むにはすべてのものに理由を付けなければいけない状態にまだ社会があります。逆に、「仕事だから」と一言枕詞につけると後は何も説明しなくてもすべて通る理由になります。私たちは、その後に続くものの具体的な理由を知りたいです。「仕事だから」しょうがないとは、何が何に対してしょうがないのでしょう。それが通るなら、「遊びだから」では何故通らないのでしょう。
遊ぶのに理由はいらないでしょう。面白いから楽しいから遊ぶのであってそのこと自体に何か理由付けとか有益制を考える必要はありません。海外旅行の「教養主義」は「遊ぶ」が即「無駄」「浪費」と同意語に取る考え方が根底にあります。「遊ぶ」だけでは「無駄」なことだけども、現地の人とふれあって海外の文化を理解すれば決して無駄ではないどころか、代えって得をする
海外旅行で得なんかする必要はありません。「遊ぶ」という心と体が喜ぶことを海外でする事を「海外観光旅行」というのです。そのために色々下準備して本番に備えるのは悪くありませんし、用意があればあるだけ面白くなる可能性は多くなると思います。ちゃんとした知識は安全性を数倍多くしますし。
ただ下準備を絶対なるべく完璧にして、無駄のない日程で、浪費を慎み観光をしないでと話がつながっていくのは間違っています。
「遊ぶ」広辞苑ではこう出ています。
日常的な生活から心身を解放し、別天地に身をゆだねる。神事に端を発し、それに伴う音楽.舞踊や遊学などを含む
ほら、海外旅行そのものではないですか。こじつければ、日本の庶民の旅行は「お伊勢参り」のような巡礼から始まったようなものですから、神事に端を発しもまんざら外れてはいません。
さらに具体的な意味になると
1)かぐらをする。転じて音楽を奏する。
この意味では最近は使いません。
2)楽しいと思うことをして心を慰める。
ぴったりではないですか。
3)狩りをする。また野山などを気軽に歩き回る。遠出して風景などを楽しむ ハンティング、キャンピング、トレッキングというところでしょうか。
4)子供や魚鳥などが無心に動き回る。
旅行者そのものではないですか!
5)他の土地へ行き風景などを楽しむ。また、学問などのため他郷に行く。
さしずめ今風に言うなら、海外旅行と海外留学ですか。
6)生業を持たずぶらぶら暮らす。仕事が無く暇でいる。
そういえばこういう意味でも使います。
7)金、土地、道具、等が利用されないでいる。
これも使います。
8)酒色やばくちにふける。また料亭などで遊興する。
若い人は料亭はちょっと、行きたくとも不景気ですから。辺見庸氏なら美食に あきた舌と胃袋持ってますから料亭へは飽きるほど行ったのでしょうか。
9)もてあそぶ。からかう。
この意味もありました。
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