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入門講座理論編ー(33)
蔵前仁一氏の本からもう一度引用させていただきます。(多分ゴーゴーアジア)「インドの片隅にあるちっぽけな安宿の一室で、暇な旅行者達が集まってきてぼくの知りもしなかった「世界」の話をしている。まるで暇つぶしの世間話のように。」
こんな事そう大げさに驚くほどのことではありません。本当に暇つぶしの話なんです。2週間ほど香港とかバンコックぶらぶらして、安宿に泊まりカルカッタに到着して10日目くらいでまあ、旅行の初心者へはおどろおどろしい話をすることできます。
パキスタンで行方不明になった二人の日本人スチュウワデスの話、カルカッタで病院に収容された日本人の女の子の話、決まって「親が迎えに行ったときにはもう....。」と余韻の残る話が続き、失明していたとか、舌抜かれていたとか四肢切断されて達磨さん状態で発見されたとか、微妙に違うバージョンの話がたくさんありました。頭のてっぺんに麻薬の注射ぶち込まれて狂ったというバージョンもありました。
長く旅行続けている人も、最近少し旅行に凝りだした人も、自分の体験をきらきらした目で聞いてくれる初心者が目の前にいるときほど幸せ感じることはありません。今でもそんな人、私の目の前に現れてくれたら、一日中だって話し続けますし話した後、数日間は自分の人生間違ってなかったと、気分がハイになってきます。
「ぼくはそれまで自分の持っていた”旅”に対する考え方が一挙に変わっていくのを感じた。ぼくの知っている旅とは、観光であり、見聞であった。見物し、写真を撮り、思い出を作ればそれでよい物であった。
だが、彼らの旅は、対決であり、埋没であり、放浪であった。彼らの中にはいっさいの観光を拒否する者もおり、カメラを持っていないと言う人も珍しくなかった。」
こんな事、目の前の旅行者が言ってくれた日には、本当に気分はあっちへ往っちゃってしまいます。
こんな人達がいたと思えた時代は、せいぜい1975年までです。この時代だってきっちり検証していけばランボーのような早熟な7号モデル型の旅行者などほとんどいません。本当に幸運な方のみがどこかで会話を交わしたかもしれません。実際会話した人も、彼がそうだとは誰もがわからなかったでしょう。
よほどとぎすまされた鋭い人しか分かり合えないでしょう。私たち普通の人がわかるには、彼の生の体験が反芻され作品に発表されてからでなくては理解不能です。
ということは、80年代に入ってからのほとんどの長期旅行者は、ただ旅行にすれた(慣れたと言った方が上品ですか)遊び人に過ぎません。本国で対決したりするのがいやだから旅行にでてきたのであって、そんな人が旅行先で急に「対決」を始めるとは思えません。
「埋没」といってもそんなかっこいいものではなく、日の出とともに起きて今日一日を充実させようとできないから(旅行先で朝早く起きることはすごくつらいです、ただし移動日だとちゃんと起きられるのが不思議です)、結果的に朝食が昼食と同じになり、目がやっと覚める頃にはもう日が傾き始めているので、その日、何にもできず埋もれてしまうのです。「放浪」といっても、とりたてていくとこないので旅行者が溜まっている安宿を渡り歩いているだけで、十年一日同じ事を繰り返しているだけです。一言で言えば、「外人租界地の蟹渡り歩き」。
日常の毎日変わらない生活が嫌で旅行にでてきたはずなのに、やってることは同じ事です。非日常も、毎日非日常ならそれを日常生活といいます。
「ぼくの知っている旅とは、観光であり、見聞であった。見物し、写真を撮り、思い出を作ればそれでよい物であった。」と彼、蔵前仁一氏は言ってますがこれ以上の何を旅行に望むのでしょう。
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