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入門講座理論編ー(32)
「蔵前仁一」氏が初めて海外に出かけていった頃は「無銭旅行」と言われる「出稼ぎ現地調達型旅行」はもう廃れていました。80年代初期とか中期は日本である程度稼いでそれが続く限り旅行を続け、所持金無くなってきたら日本へ帰って数ヶ月か1,2年で金貯めてまとまった金額たまったらまた旅行に出かける、長期旅行者はほとんどがそのようなパターンでした。
彼らには何の展望も具体的な目的もありませんでしたが、時代はバブル前夜です。何かわからないけども、それ行けどんどんの香りが漂っていました。どうしようか迷ったら、とにかくやってみる、駄目でもなんとか維持はできるそんなまだまだ明るく物事が考えられる頃でした。
何の目的もない「旅」だけが目的の長期旅行は緊張感が持ちません。日本出発前には少しわくわくしていたとしても、旅に出ればきっと性格は劇的に変わり人生も変わるだろうと希望していからわくわくしていただけの話です。その上きちんとした下調べなどほとんどの人がしていません。
わくわく感とか、緊張感は2週間も経つと無くなってしまい代わりに、未知への恐怖と将来の不安からのアドレナリン過剰分泌が始まります。退屈な平凡な日常生活から離れて探検と冒険の旅に出かけたはずなのに、自分の身を肉体的にだけではなく精神的にもバラバラに拡散しないよう守るだけでやっとの日々が始まります。こういうときにはアドレナリンが利きます。不安と疲れの痛みから体と精神を麻痺させてくれますから。むやみに移動ができるのもこの頃です。
そんな生活2ヶ月ほど続ければ、顔は疲れですすけて黒くなり髪は長くなり体全体はやせてきます。見ようによっちゃー放浪者と解釈できるくらいの外観にはなります。ほとんどの人はこの段階で変化は終わりです。後は旅行先が変わっていくことと時間が経つこと、より外見が慢性疲労感漂うものになっていくことくらいです。
あっ、大事な「自分探し」がほぼ終わります。ほとんどの人は旅行はじめて二ヶ月で、めど付くことですけど、考えていたようなイメージの自分などどこにもない事に気が付きます。ここで、ほとんどすべての人が認めるのはいやだと抵抗します。でもね、抵抗しようが、すぐ次の場所に移動しようが無いものは、無いわけで、外見だけ初心者には通用するから良いかと納得するしかありません。
1960年代から70年代中盤迄の長期旅行者はちょっとはましでした。基本は今の張りぼての安宿でたむろしている旅行者と何ら変わりはないのですが、数が少ない故の希少価値がまだあったのです。海外旅行情報も1%の枠内の中でぐるぐる回っている分を探し出す努力しなければなりませんでしたし。
今は申し訳ありませんが、99%の世界が「自分探しの観光旅行ではない現地に触れる旅」を認めてますし薦めています。これから旅行を始めようとしている人だけが自分は1%の希少価値の世界に突入しようとしていると思いこんでます。確かに本人にとっては今まで経験した事のない世界ですからこの体験が出発前の自分のイメージ通りに終わればきっと、すごく変わった自分ができてくるに違いないと考えがちですし期待もします。
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