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入門講座理論編ー(31)
初心者のあなたが、何かのマニアであってその国はマニアにとって聖地であったりすればもう毎日楽しくてしょうがありません。例えばアメリカのアニメお宅が、日本の幕張あたりで開催されるコミケ(コミックマーケット)を見るために日本へ来たとしたら、もう気分は毎日コスプレです。(コスプレやっても良いから、少なくともむさい男がセーラムーンやるのだけは止めてくれー!!!)
普通はそうではありません。何の目的もなしにただ「酔狂な考え」で「旅」にでた人が多いでしょうから、何かするにしても当てが全然ありません。「生現地人」を友人にしようとしてもホリデイインクラスに泊まっている人は忙しいのです。
ホテルに泊まっている人は、まずビジネスマン、彼らはその国へ仕事の目的持ってきています。次に観光客、観光にその国へ来てますから朝早くから起きて、あなたが眠い目こすりながら起きてきた頃には「おみやげ物屋巡り付き」の市内観光にもう出発しています。よく考えたら「生現地人」はホリデイインクラスのホテルには従業員しかいません。何をトチ狂ったか、ホテル従業員と友人になるため、彼らの家に遊びに行く事考える人もいます。(まあ、考えようによっては国際親善の基本的なものなのかもしれません。)
そうだ、ここは一泊だけの予定できたんだ、個人旅行の原点「安宿街」へ次の日から泊まれば完璧な個人旅行に一歩近づく。そう考えた人が「蔵前仁一」です。
彼は言います。
「おきまりのパック旅行に身を任せて、買い物.記念写真ツアーに出るのもいちがいに悪いとは思わないが、それが海外で奇妙な目で見られているという事も忘れたくない。」
ならばどうすればいいかというと。
「インドの片隅にあるちっぽけな安宿の一室で、暇な旅行者達が集まってきてぼくの知りもしなかった「世界」の話をしている。まるで暇つぶしの世間話のように。」
さらに、
「ぼくはそれまで自分の持っていた”旅”に対する考え方が一挙に変わっていくのを感じた。ぼくの知っている旅とは、観光であり、見聞であった。見物し、写真を撮り、思い出を作ればそれでよい物であった。
だが、彼らの旅は、対決であり、埋没であり、放浪であった。彼らの中にはいっさいの観光を拒否する者もおり、カメラを持っていないと言う人も珍しくなかった。」
と感動すら覚えています。
初心者のまだ小綺麗なバックパッカーから、そうあこがれの目で見られれば長旅で丸くなった背中も急にしゃんとしたりします。でも何故か頭のてっぺんとかこめかみあたりがかゆくなっていたりします。
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