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入門講座理論編ー(26)
99%の情報を取り扱う一般メディアの人たちに認められつつあった、出発前の「沢木耕太郎」、彼なら1%の世界(彼が帰国した74年頃はもっと%は低かったと思います)を体験した後に99%の世界にその体験をアピールすることは簡単だったと思います。ほかの無名の人よりはという意味で。
著作活動をいつ初めてもいつ発表してもそれはその人の自由ですから、私どもがとやかく言うことではありません。ありませんが、近年の彼の著作「深夜特急」が個人旅行者の「旅行OS」として使われている現状見るに、早めにきちんと99%を担当するメディアの人たちへもっと1%の世界への橋渡しをしてくれていたらと残念でなりません。
橋渡ししてくれていたとしたら「自分探しの個人旅行」とか「癒しの旅」とかの論調は80年代でできって、今はもう次の段階に移っていたように思います。
今更ながら観光しかできない状況なのに、観光ではない考える旅を、観光地を回らず現地の人とふれあう旅を、もういい加減できもしないことをできそうな、有りもしない物をさも簡単に安く短期間で見られる体験できる風な脳天気な考えはやめにしませんか!
本当に何百回も繰り返し言わせてもらいますが、コスト払っただけの、手間かけた分だけの、リスク背負った分だけの体験しかできません。それにあなたの才能分だけの世界しか楽しめません。
安くて良い物が簡単に手にはいることはありません。安くて良い物は確かにありますが、それを手に入れるには他の人より早い情報と、それなりのコネクションがなければなりません。
それなりのコネクションと早い情報は、常日頃コストと手間とリスクをかけてじっくり熟成しなければなりません。今日の今日ということはあり得ません。
お金を使わない旅行であればあるだけ真実の人の姿にあえるし、本当の探している自分に会えるというのもよく言われます。とくに「下川祐治」氏等が主張しておられましたが、この考え方程脳天気な物はありません。(最近は日刊現代などでの彼の主張はいつの間にかかなり反転してます。いつか直接聞いてみたいものだと思っています。)
貧乏であればあるだけ見てくれの勝負ができません。今あなたが持っている素に近い動物的な部分での勝負になります。社会的な見てくれ装うには金必要ですから。その部分人に見せて私を受け入れてくれるか、少なくともあなたに不快感与えてないかと問うわけですが、もし結果が「ノー」だった時どうします?
「イエス」ならこれほど嬉しいことはありません。あなたが日本でのバックボーンなどなしで海外において、素が認められたのですから。でも「ノー」かもっと悪い「無視」だったら!
貧しい旅行であればあるだけ、現地の人は助けてくれたってか!そんな保証どこにあります!金使わない旅行であればあるだけ、不安は増大します。開き直りで不安を解消しようとする人もいますがこれは、不安の中でも極端な不安の裏返しで神経を麻痺させているのにすぎません。
予算がないことでのあなたの不安増大はこれは当たり前の防御反応です。不安の通りになることが多々ありますし、開き直りで数日は神経麻痺しても、現実は必ず実体もって数倍の大きさで目の前に現れます。
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