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入門講座理論編ー(25)
あらゆる物が飛び交うハイテンションのところで通用するルールというのはそれなりに実戦で鍛えられたお互いのぶつかり合いを調整しながら動いていく結果論的な色合いが非常に強い物でしょう。
対して私たちが旅行前に住んでいた日本のルールはまず最初に古くからのルールがあって、それにいかに各個人のハイテンションを波風立たないように沿わせていくかが重点に置かれたものでした。「まあ、まあ、まあ、まあ」という感じのあれです。
すべての海外の国が日本に比べてそうだと言うことではありませんが、西ヨーロッパの都会とかアメリカ合衆国の都会などは、日本で言われていたようなレディファーストの民主的な理知的なところではなかったのです。
その代わり、日本からの出稼ぎ旅行者が少数入り込んだところでなんて事はない、異文化とか異人種に対して偏見はあっても、びっくりはしないところでした。旅行者にとって一番暮らしやすいのは、旅行者の自分に対して現地の人が「びっくりしない」様な地域なのです。
「びっくりしない」ということは、慣れていることを意味します。慣れていると言うことはすでに何らかのルールが出来上がってることです。ルールができていればそれが偏見と悪意に満ちていたとしても、すべての人とすべての地域がそうだと言うことはまずあり得ませんから対応の方法は簡単に見つかります。
例えば、偏見に満ちている地域には行かない、そういう場所が例えば飲み屋ならそこへは出入りしない様気を付ければ済むことです。私たちに対し「びっくりする」ところはどんな突発事故が起こるか見当が付きませんから、これは大変不安な場所といえます。
こういう風な実際の旅行者の実用等身大情報は、80年代初期まで日本のメディアは残念ながらどこも取り上げてはくれませんでした。64年から始まった海外旅行自由化によって、80年代初期ならもう個人旅行者は延べ人数、100万人はゆうに突破していたと思います。
決して少ない数ではありません。が、そう多数でもありません。人口の1%前後というところです。この中で、情報はぐるぐる回り残りの99%が対象の世界にはでていけなかったのです。一度この1%の中にはいるとそれなりの情報がたやすくはいるようになりました。
普通の生活していた場合、1%の世界は有ることは知っていても中に入ってみようと思うにはちょっと勇気がいったと思います。99%の世界の情報を担当する「一般のメディア」が1%の世界をちゃんとは伝えてくれなかったからです。伝える場合は好意的なときでさえ必ずちょっと危険な灰色の味付けをしたからです。
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