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入門講座理論編ー(23)
まずヨーロッパに出かけた連中、ヨーロッパの中でもダサイ国とかっこいい国が明確に色分けされてることにびっくりします。もちろん、生け贄の山羊さん理論は健在です。かっこいい国はダサイ国の連中つつき回り、ダサイ国の連中はもっとダサイ国を探し、その人達はさらにダサイ国を探し。
つつかれた人たち、上はつつけませんから、アフリカとかトルコから来た有色人種をつつき、幸いなことに日本人はまだ数が少なく稀少価値有ったんで直接のつつきはあまりなかったようです。
西洋の人たちルールを守りスポーツマンシップに富み、公平である。理不尽なことは非常に少ない。(はずだ!)ほとんどの旅行者、日本でる前に受けた学校教育とか一般メディアの記事でそう教えられていました。
留学で行った人たちにはそれに近い体験は多かったのかもしれません。教えられる立場ですから。その立場が対等か逆転した時にどういうことがおきるか、やはり実際現地に行った人でないと語れなかったのです。
日本で武道やってた人で旅行中に現地で教える人もかなりいました。皆に共通した体験ですが、ヨーロッパでもアメリカでも武道の好きな体育会系の人たちは日本のそういう人たちと同じような感覚持ってました。「おっす、礼!」ってな感覚です。
道場の中の教え子と先生とか、町の中の同じような武道の道場とかは、強い人へは純粋な尊敬があり、最低限のスポーツマンシップは守られていたように思います。
ところが、国内の大会とか国際の大会になるとそうはいきません。ルールの運用は圧倒的に現地の人の方が有利になって来ます。どっちが勝ったかわからない微妙な場合はまず日本人は勝てません。かなり有利であっても、明確な一本勝ちでない限り勝てません。観客からブーイングがでても判定は覆りません。フランスの空手大会でも北欧の柔道大会でも同じ事がおきました。
当たり前といえば当たり前のことで、百戦錬磨の方々が長い間かけて作ったルールは同等な実力の現地の人同士には適用されても、留学のようなお客さんで来たときにはあなたも当然同等の権利がある様に見せてくれるけど、お客さんではないプータローとか旅行者には(しかも、アジアの遠い国からのオリエンタルチックな)別ルールでした。
こう言うと西洋といわれる諸国はひどい差別があって常に有色人種は白い目で見られて何をやっても浮かばれない国のように思えますが、そんな単純にひがみ根性で説明できる物でもなかったのです。
70年初期のオランダは昔の植民地の現政府(インドネシアなど)への反政府組織(現政権への、例えばイリアンジャヤ独立運動とか)が活動できる懐の深さ持ってました。
要は私らが一般的に日本で教えられたり、常識として認められている、西洋ののイメージが現実とは大きく違っていて、基本では日本とあるいはアジアとそうは変わらない物であったということです。しかし、経済的な部分では日本より進んだ社会でしたからそこのルールは発展途上の国から来た若者にとっては大変魅力的に見えました。それは別ルールが私たちに適用されることを差し引いてもかなりのプラスになる事柄でした。
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