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入門講座理論編ー(22)
考えても見てください。普通に日常生活を送っていて通い慣れた道を通って決まった時間の決まった電車に乗っている限りは、痛さとか怪我はほとんどありません。こういうときは、他人の書いた他人の人生とか旅行記も純粋に楽しめます。
何せ安定していて、じっと静止していることができて時間があります。ところが一旦旅行に出かけると、初心者の頃はそれが短期のものであっても、すべてが非日常になります。ベテランでも、初めての国とか長期の場合は非日常の世界に入り込むことになります。
毎日毎時間が「NG」ありのスリルとサスペンスに富んだ生活になります。そんな場所へ静止した安定した状態で楽しむべき「沢木OS」を持っていって何の役に立つのでしょう。実際に海外旅行に出かけることが簡単になった今、何年もかけて、7号のモデルがその才能で熟成させた結果の紀行記を読んで果たして参考になるのでしょうか。
熟成させる前には生々しいたくさんの事柄の断片があったと思います。その断片こそが旅行者に最も必要な物なのです。その点では「オデッセイ」とか「海外旅行研」の方法論は間違っていなかったと思います(残念ながら30年早すぎました)。「沢木耕太郎」も熟成させるよりその断片をうまく整理整頓して読みやすく編集し直すことは簡単にできたと思います。
それをようやく個人旅行が花咲こうとしていた、70年後半に彼がやってくれていたら個人旅行のマーケットとか紀行文は現実に密着した手堅い発展遂げていたでしょう。彼がそうしたとしたら一番影響を受けて変わったと思われるのは、読者とか視聴者の最終的な受け手でなく、メディアの中で比較的動きやすい中堅のディレクターだとか編集者だとか記者だったでしょう。
70年代80年代はインターネットなど有りません。この頃でも旅行マニアはたくさんいましたが、彼らはすべて犠牲にする覚悟でなければ、「海外旅行のマニア」にはなれませんでした。ちょっとしたこと調べるのにもネットで検索などできなかったのです。すべてが時間と根気と経費が必要でした。ほとんどが紙に印刷してあるデーターですから、探し出すにも一苦労、保管する方も、保管する前のデーター印刷も半端ではない金と根性いりました。
今なら自分の楽しんだ旅行の情報を簡単にHPにつくって全世界に公表することできます。この頃はアルバムとかスクラップブックに旅行の記録を整理するところまでは簡単ですが、他の人がこの情報を共有しようとすると大変な根性と根気がいりました。
まずどこかの旅行関連の同好会とか同人誌に属しそこの人たちと一緒に自分の記録を印刷物にする。この印刷物はまず売れませんから各自の持ち出し。何号か作って金と暇と体力続かなくて自然解散。せっかく印刷したデーターも各会員の引っ越しとともに捨てられて、次の旅行者の目には触れない。
何十回、何百回、全国各地で同じ事の繰り返しです。これらをつなぐ役目の物はこの頃は一般メディアの報道しかありません。しかし一般メディアは個人旅行に関しては無視ではないにせよ、決して温かい目で見てくれていたわけではありません。
こういう時こそ、沢木耕太郎氏の出番だったように思いますが。一般メディアの人がよく知っている7号モデル型ライターが彼だったのですから。私たち格安航空券ブローカーが提案することはもちろん基本は商売ですから、紙面には取り上げてもらえません。イベント打ってもよほど工夫した形でなければ、企画の提案さえ聞いてもらえません。広告なら大丈夫そうですが、先に挙げた理由で(違法に近い格安航空券のイメージ)広告も出してもらえません。
ですが世界の生の情報がガンガン乱れ飛び、今何がおきているか、私ら外の世界ではどう扱われているか、そんな生きた新鮮な匂いは70年代から80年初期の、個人旅行サイトに有ったのです。
サイトといってもインターネットのような物はもちろんありません.FAXでさえなかった時代です。具体的には、旅行の同人誌、格安航空券屋(もちろん潜りと呼ばれるブローカー)世界各地の旅行者のたまり場の宿等です。
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