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入門講座理論編ー(14)
さきの(13)でそんななかで(1970年後半)彼が「深夜特急」を発表していたらいくら彼でもなかなか難しい物があったと書きました。たぶん2年ほどで大筋の物語は完成していたのではないかという推理もしました。その根拠私なりに分析してみます。
キーワードは「深夜特急」にあります。この言葉はトルコの刑務所で脱獄を意味する言葉と巻頭にあります。彼のほんのどこひっくり返してもこの言葉の出典は書いてありません。
深夜特急を英語で言うと「ミッドナイト エクスプレス」この名前の本と映画世界的に大ヒットしました。映画はアランパーカーが監督、確か脚本でプラトーンの監督、オリバーストーンが参加しています。(今でもビデオ屋には必ずおいてありますから、もし見てない人は絶対見てください)
本は、「ビリー.ヘイズ」と「ウイリアム.ホッファー」の共著、そして、ビリーヘイズの方の旅行中の体験記です。
ビリーヘイズがトルコの空港でハシシの不法所持で捕まるとこから物語は始まり何年か服役の後、終身刑を宣告されそれに反発して脱獄する話です。ちょうど1970年初期に彼はトルコの監獄に入っていたはずです。
映画は日本では、1978年の10月に公開されそれと同時に本も10月に単行本が発売されました。残念ながら映画の方は、トルコ政府だかの抗議のせいで1ヶ月たた無いうちに公開中止になりました。
本はその後、1981年3月に文庫本化されました。
この時点で、「沢木耕太郎」はいつか発表する予定の旅行記の名前の候補の一つは「ミッドナイト エクスプレス」「深夜特急」と決めたに違いありません。
彼がずっと後になってミッドナイトエクスプレスを知った可能性はないとは言えませんが、当時ほとんどの海外個人旅行体験者あるいはこれから個人旅行したいと思ってる人は知っていたほどの映画であり本でしたから、その可能性はほとんどないと判断して良いでしょう。
ましてメディアの中での個人旅行者のパイオニアであった彼に、この映画とか本の情報が入らなかったことはあり得ないでしょう。とすれば、1978年には何らかの形で彼の頭の中には、「深夜特急」の形が具体化はしていたと思います。
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