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入門講座理論編ー(13)
彼自身旅行中にたくさんのことを見てたくさんのことを感じ色々なことを頭の中で整理分析を始めていたはずです。どんなに時間かけたとしてもたぶん2年あれば旅行中の事は最低でもラフな構想は終わり書き始めれば一気に書き上げれるだけの物はあったのでは無いかと思います。
これが物書き以外の職業に就いている人ならそうはいかないでしょう。2年かかっても5年かかっても旅行中の資料は段ボールの中、そのうち頭の中の旅行の記憶もどんどん薄れて引っ越しを契機に段ボールの資料も分散、結局無くなってしまうケースがほとんどです。
旅行を終えて日常生活に戻れば何かの折りにちょっとは思い出すことはあってもその体験が日常の自分の生活に生かせるわけではないので、どんどん疎遠になっていきます。
物書きならそうではないでしょう。しかも旅行者の中ではパイオニアではないにせよ、物書きという職業を生業にしてる人たちの中では早めの個人旅行者だったため、比較的大手のメディアでその体験を発表できるコネと位置を確保した訳ですから。
通常ならすぐその体験をどこかのメディアに売り込んで形にしたいとほとんどの人は思うでしょう。しかし75年から80年始めの時代は、個人旅行の体験記などほとんど売れないとされた時代です。私たちは、航空券を売るという目的ではありましたが何かの折りになけなしの金はたいて、写真展やったり個人旅行の機関誌作ってみたり、マニアル作ってみたり、出版社回って自分とか友人とかお客さんの旅行記を売り込んでみたり色々しました。
TV局にも企画持ち込んでみたりしました。ほとんどの所で門前払い、あえたとしても私らと同じような20代半ばの入社2,3年の新人社員。ま、たぶんうるさく企画持ち込んだりしてましたので、とりあえず話だけでも聞かせておくかという程度の扱いでした。最も、私らの実力もとりあえずだったので、人のことあまり言えませんけども。
だいたいが、相手の出版社にもTV局にも個人海外旅行を何ヶ月も体験してきた人などほとんどいませんでしたし興味さえ持ってる人少なかったのではないかと想像しますので、彼ら自身無視したのではなく私らのもって行ってる企画自体を判断しかねたのではないかと思います。
そんな中でもし「沢木耕太郎」が「深夜特急」を書いていたとしたら、産経新聞は掲載してはくれなかったでしょうし、新潮社も単行本にはしなかったでしょう。どこの出版社が出しただろうかと考えると、うーん難しい物確かにあります。かなりはしょった形で、日本文芸社とか....。
それを思えば、マニア雑誌「オデッセイ」などでちびちび体験記として発表するより、社会の状況が劇的に変わる所まで引っ張りタイミング計って一気に大手新聞社から載せるという作戦は立派なもんです。売り上げとかインパクト知名度の獲得には絶対の作戦です。
その代わり、初期の個人旅行者への(パイオニアとは言いませんけど、初期の個人旅行者大衆化のといった方が正確かもしれません)影響与えた人の中にはこれっぽちも入りません。その時期に彼は旅行関連の仕事してないのですから。
インターネットで沢木耕太郎検索すると、旅行のサイトのみならず、読書のサイトまで、個人旅行のパイオニア的な扱いを受けており、「深夜特急」は個人旅行者の基本的な「OS(オペレーションシステム)」にまでなっています。
これはなんだか違うぜと言いたくなります。旅行者がよりどころとする旅行スタイルとか考えとしては、「深夜特急」はコンピューターのOSにたとえたとしたら、マイクロソフトの「WIN95」です。
一見便利だし簡単に扱えそうだし、それに一応大手の発売元だし、商品のシェアーも過半数占めてるし、サポートもちゃんとしてそうだし、でも実際使い始めるとなかなか一筋縄ではいかない。
ほとんどの人は、「深夜特急」は「OS」でいえば「LINUX」に対応させるのではないかと思います。しかしLINUXと真反対の性格持ってます。必要なとき、必要とされる人たちが、大手中小、有名無名の枠を意識せず寄って集って発展させてきた「OS」がLINUXだからです。
「深夜特急」は必要とされるときにたくさんの人によってグレイドアップされたのではなく、売れるタイミングを見計らってじっと温存され大手のブランドと著者の知名度を利用して発表された物だからです。この点では驚くほどマイクロソフトの製品の性格とよく似ています。
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