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入門講座理論編ー(11)
ちょっと本題から外れて、個人旅行者の元祖のように思われている「沢木耕太郎」氏について少し触れてみます。本人がそう思ってるかどうかは別として一般的な評価ではそう思われているし、最近は「小田実」を全然寄せ付けない人気を誇ってますので。「ネット」で検索してみても、個人旅行のあこがれの人に祭り上げられているようですし。
彼の旅行は、1973年くらいからだと思います。1974,5年には終わっていたように思います。そのころ出発前の日本で彼はもうルポライターとしてはかなりの仕事していたようです。
ちょうどそのころの個人旅行者のマーケットは過渡期を迎えていました。1972年には海外渡航者数が100万人の大台に乗り、最終的に139万人になりました。爆発的に海外旅行者が増える臨界点へのスタートが切られたのです。
三段跳びがホップ、ステップ、ジャンプならそれへの助走が始まった頃です。大阪で1964年に産声あげた「海外旅行研」は東京に場所移してこのころ活動始めてますし、旅行雑誌「オデッセイ」は1976年のスタートです。
「前川健一」もこのころオデッセイに執筆をしています。さて、「沢木耕太郎」はこの頃なにをしていたのでしょう。特に彼について調べたわけではないので間違ってるかもしれませんが、メディアのどこかで仕事していたのは確かでしょうが旅行関連ではほとんど70年代は姿が見えません。
個人旅行関連の部分ではもしちょっとでも騒がれた本などがでていれば私らのアンテナのどこかに引っかかっていたと思います。お客も、広告出した媒体もほとんど旅行関連のマニアックなところでしたので、私らが直接わからなくとも周りの誰かが最近こんな本注目されてるよと教えてくれたはずです。
ただ、私らもマニアックな部分と、格安航空券売りの本業の忙しさとが合わさってすべて旅行関連のメディアをチェックし切れてるわけではありません。かなりラフな網しか持っていなかったのは事実です。どこかで大きな漏れがあるかもしれません。そうなら、このあたりの時代の「沢木耕太郎」の活動知っている人いたら教えてください。訂正すべきは訂正したいと思いますので。
ということで、70年後半沢木耕太郎は海外旅行関連では姿が見えなかった事を前提に話し進めさせてください。
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