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入門講座理論編ー(10)
これはまあ出版社も新聞社もTV局も、特に一般の人が簡単に手に入れることができるメディアを発行できる大手は仕方ないことでしょう。「損をしない売れない物を売らない、売れ筋にすごく敏感」これらが大手が大手たる由縁なので。
たまに老舗の出版社とかが、埋もれてた歴史を掘り起こすようなほとんど儲からない企画やったりすることありますがあくまで昔の歴史物であって現在のポップな物はやりません。
個人旅行者用のOSとでも言える「沢木耕太郎」とか「下川裕治」は、80年後半から一般的なところに露出始めました。何故かって、これは私たちの努力とか「オデッセイ」の個人旅行のマニアルが発表されたり「海外旅行研」の会員が増えたりしたからではありません。これから記載する数字に注目してください。
1985年−−4,948,366.(494万人)
1986年−−5,516,193.(551万人)
1987年−−6,829,338.(682万人)
1988年−−8,426,867.(842万人)
1989年−−9,662,752.(966万人)
1990年−−10,997,431.(1,099万人)
理由はシンプル、劇的に旅行者が増えてきたからです。旅行者増えればいやでもその中の個人旅行者の絶対数増えてきます。数が増えれば大手の出番です。大手メディアがでれば一般の人の目にも簡単に触れるようになります。当然旅行者が増えるには必須の条件経済発展も整ってますので臨界点越えた核分裂が始まったのです。
よく、「沢木耕太郎」の本に触発されて旅に出たというフレーズ使われます。
進め電波少年の「猿岩石」のユーラシア大陸ヒッチにも使われてます。本当はそうでは絶対ありません。旅行にでた本人がそう思っていてもです。
「沢木耕太郎」の本が一般メディアから出版されるだけ(商売になるだけ)旅行者の数が増えてきた。同時に経済状況がよくなって旅行費用が簡単に稼げるようになってきた、周りにもたくさんの人が旅行に出かけていて情報も多く探検冒険しなくとも海外に出かけられるようになってきたからです。
もっと簡単に言うと、海外旅行への敷居が主に経済的な理由ですごく低くなって旅行しやすくなった。そのとき旅行する人たちに手短なOSが「沢木耕太郎」だった。
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