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入門講座理論編ー(8)
最初、私たちこれは意図的に、格安航空券がグレーゾーンの商品であることも含めて普通の人の目に触れ易い部分を担当する「一般メディア」の人たちが無視してるのではないだろうかと思ってました。
それに当初は海外旅行の中で「個人旅行」は少数派でしたし。確かに、1964年の年間日本人出国127,749人なら少数派です。1973年の228万人ならこの数全部が観光客ではないし、そのうちの少数しか個人旅行でないにせよ少なくとも数十万人が個人旅行で出かけていたはずです。
個人旅行者が集中していたヨーロッパあたりの主要都市ではビジネスで来ている人たちとの接点はかなりあったはずです。接点無くとも姿見ることはかなり多かったように思います。このころの東洋人の個人旅行者はほとんど日本人でしたし。
発展途上の経済活動の重さをしょった人たちと、発展し始めた本国でのおこぼれを利用してやっと個人旅行に「無銭旅行」という形で参加し始めた旅行者たち。たぶんお互い理解できる状況ではなかったように思います。
重さしょった人たちの外で広報活動しなければならないメディアの人たちは、経済戦士たちの姿は視界にとらえて文章とか映像の形で残せても、ある面でその先を行く、「無銭旅行」と呼ばれる個人旅行者の中の一部を視界にとらえることは不可能に近かったよう思います。
むしろ、本国からの「無銭旅行者」より、ヒッピーと呼ばれるヨーロッパとかアメリカの若者旅行者は視界にとらえ少しは理解可能だったと思います。統計取ってないし調べてないのではっきりとは言えませんが、アメリカとかヨーロッパのヒッピームーブメントの記事とかニュースは、自国の「無銭旅行者」のものより回数が多く好意的に取り上げられたのではないかと思います。
海外渡航者数も1973年に、200万人を越え、1977年には300万人を越えます。それでもまだ格安航空券はブローカーの売る物の域を出ず、個人旅行者の姿は一般メディアにはたまにしかでてきません。
1979年には400万人を突破します。1980年に390万人に減った以外、1985年まで400万人大の中で微増していきます。7年間400万人台が継続されたおかげで、1979年の「地球の歩き方」から始まる出版社の個人旅行向け情報誌とかガイドブックの発行が始まります。
それまでの個人旅行者用のマニアルとか情報紙は70年初頭は一般メディアの発行するものでは皆無の状況でした。かなりマニアックに探し回らねば手に入らなかったのです。毎年数十万の単位の個人旅行者が出かけそれぞれの体験を日本へ持ち帰っていました。ほとんどの人がこれで俺も日本へ帰って旅行記でも書けると思っていたのです。
今ならインターネットでほとんど経費をかけずに自分の体験旅行方法を他の人に伝えることができます。この時代は発表方法はどこかの雑誌とか出版社を回って本に作ってもらうしかありません。そして、とんでもなくその敷居は高かったのです。
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