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入門講座理論編ー(7)
80年代は、格安航空券屋が表舞台に顔を出したと言うところから話し始めます。これはその背景考えるとそれだけ格安航空券を買って旅行してる人が増えてきたと言うことを意味します。
蔵前仁一は80年代初期、下川裕治は80年代中期かな海外旅行に出始めたのは。(間違ってたらごめんなさい、)もうこのころは現実の旅行マーケットでは個人旅行は一般的になり、大学生の間では卒業までに一回は海外旅行に出かけなければ時代遅れな奴だと「強迫観念にも近い」ものができあがっていました。その学生生活最後の旅行を「卒業旅行」といいました。
この時代にも関わらず、メディアの旅行に対しての関心は非常に低いものでした。基本的な考えは、小田実の時代の「無銭旅行とやらで現地駐在の人たちの手を煩わす個人旅行者」の枠でてはいなかったのです。
このような話をすると、メディアで長く仕事している人は必ず反論してきます。「そんなもん、あんた方が言うまでもなく長期海外旅行した人たくさん業界にはいるし、新聞社など終戦直後から駐在員おいてるし、海外になれた人などいくらでもいた。」
それはそうでしょう、会社という組織の中で海外に派遣することは日本経済が発展しつつあるときには一般メディアも含めて商社とか政府の機関では当たり前の流れでしたし、それなりの費用も払えるようになってきていたのです。
問題はここからです。そういう人たち少なからずいて、実際自分で旅行する人たちが増えているにもかかわらず何故日本で発表される記事映像等のものに、個人旅行者たちが登場しなかったかと言うことです。
個人旅行者が増えていてなおかつ、旅行の業界にも格安航空券の大きなうねりが訪れていたのに80年代の後半までその変化の割にはメディアにはそれが反映されていません。
確かに探検と冒険的な捉え方のスポットものは増えてきてはいましたが、かなり現実の姿とはずれがありました。探検部とかワンダーフォーゲル部の学生時代の課外活動的なものから、プータローのヒッピー旅行風のものに色合いがどんどん変わっていっていたのです。70年代の前半のヨーロッパの皿洗い旅行(現地レストランで皿洗いのアルバイトしながら旅費稼ぐ旅行)とかオーペア(ベビーシッターしながら家庭滞在するシステム、当然女の子向け)など、一種の出稼ぎでありました。
そんなに一般メディアとか海外関連の会社に人材が少なからずいたのに、何故個人旅行者とか個人旅行者マーケットが無視されたのでしょう。どう考えても解りません。一般メディアとか政府機関海外関連の企業の人たちが実際には海外に出かけられない状態なら仕方ないですよね、人がいなかったんだから。
でも海外経験者がたくさんいたわけです。それなのに、個人旅行者が急激に増えてきてるのも解ってるのに、格安航空券が一般的になっているにもかかわらず報道される機会は少なかったのです。
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