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入門講座理論編ー(4)
ただの読み物として読まれるなら、「沢木耕太郎」も「蔵前仁一」も「下川裕治」も、個人自由旅行がもう色あせて当たり前すぎる一般的なものになる寸前に滑り込んできた「小林紀晴」も何の害も及ぼしません。むしろ、電車の中だろうが炬燵の中だろうがそれら読むことで違う想像の世界に浸ることができ良い息抜きになります。
30年20年前なら旅行記(紀行記かな?)とかガイドブック読んでも実際に海外旅行にでるには大変な準備が必要でした。敷居がものすごく高かったため自然とどんな書き方がしてある海外物でも純粋に読み物としてリアリティのない読まれ方がされてきました。
敷居よじ登って海外に出かけた人たちは、それの準備の期間が必要なため当然それなりの年齢に達して、その人なりに世間にすれてから出発する結果になっていました。
ところが、最近は1ヶ月アルバイトして貯めたお金でシーズンオフならヨーロッパ往復は軽くできます。インド中近東などはヨーロッパと比較した距離の割には航空券高いのですが、それでも半年も一年も金貯めるため苦労しなくとも出発はできます。
旅行に使う「旅のパーツ」の情報もどんな小さな本屋さんでも数百円で手に入れることできます。何にも考えなくとも世の中のメディア読めば、「団体旅行で無く個人旅行で、できたら個人旅行で、観光旅行ではなく現地の文化にふれあった地に着いた旅行が」良いとあいてあります。そういう旅行がおもしろいしためになると断定してあります。
そんなステレオタイプの旅行者いませんよという人いたら、一度パッケージで日本人がよく行く目的地に行ってみたら?そしてグループ全体で有名なレストランあたりで昼食取ったりしてみるとヨークわかります。必ずそういうところには「団体」ではなく「個人で自分で」旅行している人たちも、うろうろしていて、優越感に満ちた目でこっち見てます。場合によるとこれ見よがしの大声で、自分たちはいかにおもしろい旅行しているか仲間と語り合ったりする人います。
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