第9回 糖尿食 (2002/01/02)
病院では糖尿病患者専用の食事が出る。だからといって何か変わった食材をつかったり、特定の食品を避けたりするわけではなく、基本的にカロリーを制限したダイエット食だ。1日合計で1800カロリーをめやすに栄養のバランスを考慮して、それなりの品数、ボリュウムと満足感が得られるように工夫されている。
おかゆに味噌汁、肉か魚、あえもの、野菜サラダ、ふかしいも、果物など少量ずつ配膳され、いってみれば肉魚ありの精進料理のようなもので、病人食というよりは健康食といったほうが当たっている。
元日には特別料理がでた。お正月用の器に伊達巻、大根を細工した紅白の干支。お雑煮に豪華エビのてんぷら。メッセージカードまで添えられていた。細やかな細工や盛付けの工夫、これらは本当にプロの技でとても家庭でまねできる域ではない。普段、正月といっても特別のことをするわけではないので今年は格別だった。
ここの病院では専用の調理部があり、入院患者用の食事のほか外来者用の食堂まで用意されている。ケータリングでまかなってしまう病院とはやはり何かが違うような気がする。食事というのもが、単に空腹を満たすためではなく、本当に食事として提供されている感じがする。毎回出るほどよい暖かさのおかゆは絶品だ。
こうした食事を贅沢といわずして何といえるだろうか。確かにグルメとは違うかもしれないが、さまざまな知恵と工夫が凝らされた料理は一流のグルメにも匹敵するのではないか。少なくとも見得ばかり競ったグルメよりもずっと存在感がある。
しかし、病気とはいえ、こんな贅沢な食事をしているとどこか罪悪感も感じる。世界の2割の人々が恒常的に飢えと栄養失調に苦しみ、1%の人が危機的状態にあると言われる。そんななか、糖尿病は食べ過ぎが一因とされ、しかもその治療にグルメ以上の食事が供される。自分のおかれた状況がパラドックスのように感じられる。
モロッコのフェスに1週間滞在した。古都フェスのメディナはいったん足を踏み入れると容易にはもとに戻れない世界で最も複雑な迷路を持つ魅力的な町だ。夜、ホテル前のレストランで食事をした。ショウケースにはいっている肉を指さすとそれを焼いてくれる。見慣れないめずらしい肉がいっぱいあったので片っ端から注文した。とても全部は食べられる量ではないが物価が安いので気にならない。
舌づつみをうちながらあれこれ食べ漁っていると、回りからじっと見つめる視線を感じた。変な外人がいるとめずらしがられたぐらいに思った。満腹で食事を終え、席を立たとたん少年たちは残った肉とパンに殺到した。一瞬ですべてがなくなっていた。こちらはただ呆然とするばかりで今起こっている現実を理解するのに時間がかかった。
夜遅く散歩をした。屋台のミントティーがとてもおいしい。炒り立てのピーナッツを買いホテルに戻った。途中、寒さにうずくまった少年の姿があった。ピーナッツを差し出すと「メルシー」と返事をした。とても美しい響きのフランス語だった。
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