第8日 沖縄は琉球

 

台湾最速の自強号2000.4.4 (8日目 最終日)

今日は午後4時50分の飛行機で沖縄に帰る。飛行場は台北の中心から北西40kくらいのところにある。台北と新竹の間の桃園駅からが一番近い。頻繁に路線バスもでていて便利そうなので桃園経由でいくことにした。

新竹駅で桃園までの電車のキップをかって失敗した。電車というと東京みたいにすぐ来るものと思いこんでいた。しかし構内にはいってから調べたら1時間くらい待たなければならない。その間に特急の自強号は3本も来る。電車は時間がかかるばかりではなく本数もすくないのだった。時間もあまりないのであわてて自強号のキップを買いなおした。自強号は全車座席指定なのだが短距離客のために座席なしのキップも扱っていた。

桃園にもどる途中はすこし見なれた風景になっていた。最初は高雄に行くとき、2度目は昨日、そして今日で3回目だ。たった3回でも新鮮さが半減するのにはあらためて驚いた。なじみの場所を何度も訪れるのもいいが、見知らぬ土地を旅することのイ ンパクトの強さやすばらしさをあらためて認識させられた。とりわけそれが外国ともなればテンションも上がる。

なかには外国どころか旅へすら行きたくないという人もいるようだが、こうしたテンションが逆にストレスになってしまうのかもしれない。自分は旅なれたほうだと思うが、それでも旅に出かける前には面倒でやめようかなどと考えたりすることもある。なにごとにもハードルはあるが普段から低くしておかないと場合によっては超えられなくなってしまう。風太には小さいころから頻繁に旅に同行させているので旅をいやがることはない。だがこれまでは単に親のあとについて行けばよかったのが自分で旅する年齢になったとき逆に面倒くさがりになってしまうのではないかと心配したりもする。

そういえば沖縄で台湾行きのチケットを買ったときエージェントはサービスとして出入国のカードを作成してくれていた。沖縄では当然のことなのだという。しかし、そんなことまでやってもらっていたら旅ができなくなってしまうのではないか。いろんな国を旅すると現地で手続きしなければならないことがたくさんある。添乗員にばかし頼る旅しかできないとすればそれは結局子供扱いされているのと同じことだ。沖縄が国際的な観光地をめざすのなら進んでそんなサービスやめて大人になるべきではないか。風太には小学生になったときから自分で書かせている。

発泡は味気ない桃園の駅前は入り組んでいて分かりにくい。バスの始発停留所もあちこちの路地に分散されていて飛行場へいくバス停を探すのも苦労した。しまいにはバス会社の職員につれていってもらった。駅にはバス停の一覧でも用意しておいてほしいところだが、バス会社は日本とおなじで民間で国営の鉄道とは路線を競っているせいかバスの案内は見あたらない。

バス待ちの時間を利用して食事をした。肉入りの麺をたのんだら発泡スチロールの器ででてきた。味はいけているのだがあまりに素っ気ない。客もテイクアウトすることが多く、店も皿を洗う必要がなくそのぶん安くできるからかもしれないが、せめて店内でたべる分くらいなんとかしてもらいたいものだ。まだこのスタイルは台湾中に蔓延しているわけではないが次に訪れたときにはどうなっているだろうか。

飛行場への途中ASUS社の建物がみえた。ASUSは数千人規模の台湾では最大のメインボードメーカーの一つだ。本社ではなく工場らしかった。堂々とした建物ではなくやや大きめの中小企業の工場という感じだ。やはりパソコンの工場は新竹の特別区のようなところではなくこうした街中にあったのだ。パソコンのように変化の激しい分野では特別区などという囲いは似合わない。

(後日調べたところ、台湾のPC工場は北部の台北市を中心に汐止や新荘、桃園、土城、新店などに点在している。台湾中部にもIBMのOEMを製造している大きな会社があるがかなり異例のようだ。また最近では中国大陸に工場をもつメーカーも多いという。新竹の工業区は半導体チップ製造が主体で、マザーボードやグラフィックカードなどのアセンブルはやっていないらしい。)

モデムジャック付電話機を発見ボードには琉球の文字が飛行機の航路モニタ

飛行場のロビーを歩いていると風太はこれまで見かけたことのない電話機をみつけた。受話器の奥にモデム用のモジュラージャックが付いていた。早速たまっていたメールを送信してみた。たまたま通信状態がわるかったのか途中できれてしまったが二度目はうまくいった。これで台湾で書いたメールはすべて送信できた。電話の発達した台湾のことだからそのうちこのような電話が普及してくるだろう。台湾は電話代がやすく、ケーブルテレビも発達しているのでインターネットも一気に広まる土壌が備わっている。

ロビーのボードで自分の乗る便を確かめた。漢字の表記は沖縄ではなく「琉球」となっていた。以前どこかで読んだのだが、沖縄がアメリカに占領されて日本復帰が叫ばれていたころ台湾は沖縄が独立することを望んでいたそうである。台湾の置かれた複雑な立場からすれば似たような兄弟がほしかったのかもしれない。沖縄が日本に復帰しても台湾は認めず公式には琉球のまま現在に至っている。機内の航路表示のモニタは中国語、日本語、英語で交互にきりかわるが、日本語と英語では沖縄なのに中国語は琉球と表示される。

台北から那覇まで1時間5分で到着した。那覇から東京へ行くのの半分の時間だ。しかしその距離に反比例するかのように沖縄と台湾の距離は実は遠い。

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