トラベルメイト Top pageへ
トラベルメイト田森君は西へ

<<前のページ  次のページ>>

田森くんは西へ vol.141

 

シンガポール (4)

夜、バンコックのタイソングリートで知り合った学生に電話しました。レストランで同じテーブルに座ったので知り合いになったのです。医者の卵だとか言ってました。まあシンガポールの最終日でもあるし、暇なら飯でも一緒に食おうと 思ったのですが、友人の所に出かけていて今日は帰ってこないとのこと、仕方ありません、伝言だけ頼みました。  

バンコクであった日本人で、明日シンガポールを出る。何の用事もないけどただ「セイ、ハロー」と伝えてほしい。 多分お袋さんであろう、電話の相手は流ちょうな英語で受け答えしてくれました。 むしろ私の方がつっかえつっかえ、会話続けました。多分こちらの言おうとしていることわかってくれたと思います。  

出発当日は3月27日土曜日、たった2泊だけでしたがこれからインドへ行く私にとってもうシンガポールは再度通らないところです。ほんのちょっとですがセンチメンタルになりました。  

列車は定刻通りに駅を発車しました。寝台車には私以外にもう一人日本人がいました。年齢は私より5,6才上で30前後と言うところでしょう。去年の11月に日本をでてほぼ半年、私とほぼ同じルートでシンガポールまで来たそうです。 マレー半島南下するときはヒッチで数日かけてゆっくり旅したとのこと、私の場合は雨でくじけてしまったのですが。  

日本人のほかには、3才くらいの女の子つれた中年の女性と、50代のビジネスマンらしい男性とがいました。寝台車といっても二等ですから、一等のようにドア付きの個室ではありません。4,5人ずつが向かい合った座席に座り、夜になれば座席の背もたれを天井からのフックに引っかけて上段のベッド作るわけです。  

同じ座席になった4人は(子供を数に数えるなら5人)英語が話せました。私も一応は10分くらいなら、何とか英語で話せるようにはなってました。10分過ぎたら、同じ事を最初から繰り返すか会話の中から抜け出て狸寝入りするしかありません。今回は同じ日本人がもう一人いますから、英語でしゃべり疲れたら 日本語で彼と話を続ける選択もありました。  

全員で会話するときには、もう一人の日本人とも英語になります。慣れてしまえばどうって事はないことなのですが、この頃は日本人に英語で話すことなどこっぱずかしくて盛んに咳払い繰り返しました。  

汽車は数日前南下したマレー半島を北上していきます。食堂車も連結されていたのですがそれなりに高いわけで、私たち日本人二人ずれは駅のホームで売っている中華風弁当を買いました。ほかの人達は食堂車に夕食、食べに行ったようです。

<<前のページ  次のページ>>

↑ページ最上部


E-mail:mail@travelmate.org
これは Travel mateのミラーサイトです。
ページ編集・作成:@nifty ワールドフォーラム