vol.053 タイ・バンコク (19) ふれあいを求める
私の旅行は団体で回るパッケージ旅行ではありません。一人で計画を立て、お金がないならないなりに工夫する旅行をしようと思っていました。この頃の日本の海外旅行への興味は一般的ではなく、よほどのマニアかお金持ちの道楽としか
思われていなかった時代です。
お金を使わない、または使えない旅行は「無銭旅行」と呼ばれ大学生の間ではマニアックな人気がありましたが、一般社会では無謀なイメージで歓迎はされていませんでした。
メディアでは、小田実の「何でも見てやろう」を読んだ日本人の無銭旅行者がヨーロッパの駐在員に迷惑をかけたとか、中近東の大使館に命からがら逃げ込んだとかのエピソードが盛んに取り上げられた頃です。
これらのことに私達はよけい反発を感じ、団体ではない個人の無銭旅行と言うことに異常にこだわったのです。団体でその町を短期間で通り過ぎ、しかも高級ホテルにしか泊まらない旅行ではない、自分たちの個性的な旅行は安宿に泊まることで一つの目的は達成しました。
もう一つのただ通り過ぎるだけではない、地に足をつけた旅行を証明するには現地の人との出会いと交流ふれあいがなくてはなりませんでした。団体旅行してる人が、バスの中からタイソングリートのレストランを見たとしたら、適当に外人が入り乱れ、タイ人のコックとかボーイ華僑の経営者がいたりして国際色豊かな、ふれあいの場と見えたでしょう。
実際数日間泊まってみるとそこは、普通のタイの人の世界からかけ離れた租界地で、ほとんどの旅行者が今日は昨日よりいくら安く生活できたかを競い合う
(それだってタイの人に比べれば贅沢な金額)競争の場だとわかってきます。
そんな中、チェンマイでの居候の飲めや歌えやの話は、ものすごくうらやましい物に思えました。まだ私はバンコックでは、現地の人と友達にはなっていません。で、無理してでも友達を作る必要に迫られました。ふれあいのない個人旅行は、良い旅行ではないからです。
忙しそうに歩いているビジネスマンをつかまえて「私は日本から来た個人旅行 者です」と宣言するわけにもいきません。暇な人達が暇にしてる時間帯をねらって話しかけねばなりません。そうすると、学生が授業が終わってキャンパスでのんびりしてるところが一番です。
私はチュラルンコン大学の構内をぶらぶらし始めました。
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