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田森くんは西へ Index page へ

vol.016  沖縄航路 (1)

 

船は沖縄へ向けて出航しました。いよいよインドへの第一歩です。台湾までは3人ずれなのでまだ不安は感じませんでした。これから40時間ほどの船の旅です。周の連中思い思いに荷物を広げて、将棋をしたり、漫画を見たりしています。そのうちギターで歌い出す奴がでてきます。  

この頃の船旅とか夜汽車の旅は、旅行者50人いたら必ず一人くらいはギターを持っていました。定番は「友よ」「若者達」「山谷ブルース」「受験生ブルー ス」、ちょっと気取って「朝日の当たる家」「パフ」「500マイル」「思い出のグリーングラス」「七つの水仙」等でした。 日本の歌はまだ皆なんとか歌えました

「ともよー、よあけまーえの、やーみのなかで、ともよー、たたかいーの.....」
「きみのーゆくみちは、はてしなくとおい、だのにーなぜ、......」
「きょうのー、しごとはつらかった、あーとは、しょうちゅうをあおるだけー、....」

英語の歌になると出だしは皆ついていけますが、すぐ脱落です。「思い出のグリーングラス」などはまだ森山良子の日本語版があったのでまだましではありましたが、ほかのはなかなかな結果になりました。

「ぜありーず、ざはうす、いんにゅーーおりんず、ぜいこーるざ、らーいじんぐ  さん..」
「ぱぁーふ、ざまじっくどらーごん、りぶず....」
「いふゆーみーすざ、とぅれいん、あいむおん、ゆーういるしー....」  

ギター持ってるのにあわせてそれっぽくあわせるか、ハミングするかどちらかでした。ギターもって歌っているからと言って、彼も決して英語を理解して歌ってるわけではありません。和製英語の発音でそれらしく発音しているだけでした。  

仲間に入ってると、お互いうなずきあいながら納得して歌ったり、ジャズ喫茶でのように目つむって下向いて首振ってるのがいたりしてそれはそれで気持ちいいものでした。  

参加せずに、周りで見る分にはちょっと顎の下がかゆくなる程度の恥ずかしさ はありました。そうそう、定番の基本的な奴を忘れていました。マイク真木の 「バラが咲いた」です。これも簡単な歌なのでよく歌われました。  

歌のグループの横では沖縄問題で口に泡とばしてしゃべっているグループがいます。女2人に男3人でした。ちょうど日本に返還される前の年ですから微妙な時期ではあったのです。このグループで延々自分の意見を言い続けている男がいました。  

彼によれば、常に沖縄は差別されてきた。明治以前から薩摩藩に差別支配されてきたのであって云々、自分は本土で不当な扱いを受け続けそれに対して日夜闘った。  

最初はうなずいていた女の子も、この人どうにかしてよと言う目で、フォークギターグループとか、シニカルに漫画を読み続ける私達3人組に助けを求めています。私らだっていやだ、こんな狭い2等大部屋で、エンジンの音とかギターの音、ペンキの匂いでうっとおしいのにさらにうっとおしい演説など聞きたくもありません。  

そうこうしてるうちにぼつぼつ寝る人が出始めます。ギターグループもいつまでも歌ってるわけにはいきません。締めの歌が流れます。

「あのときあなたとくちずーけをして、.....わるいおんなだとひとはゆーうけれど、いいじゃないの、しあわーせならば」

佐良直美の歌でした。この時代、この時間、この場所ではぴったりはまった歌でした。  

11時過ぎには電灯が薄暗くなりました。さっきしきりと政治づいて粋がっていたにーちゃんも、困っていたねーちゃんも、将棋してた人達も、ブリッジしてたグループも、あのギターグループも、それぞれ自分の場所に戻って寝たようです。  

隣では、田島と中島が、寝袋に入って寝息を立てています。私はすぐには寝付けませんでした。情報も予算も決して十分だとはいえないまま行くインド、私には何一つ解っていることはありません。今となってはなんのために行くのかさえ解らなくなっていました。