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田森くんは西へ Index page へ

vol.010 旅の計画 (4)

 

彼が韓国へ行ったのは1969年のこと、70年には船でシンガポールへ渡り、マレー半島をヒッチでバンコックへ、そこから航空券を買って香港/台湾/東京と帰ってきたのです。だいたい2ヶ月くらいの旅でした。  

彼も万博のアルバイトはやったのですが、船の関係で8月下旬には日本を出発しました。最後まで万博にいたわけではありません。私が彼に最初にあったのは11月も終わりの頃ですから、旅行を終えたばかりのばりばりに新しい情報でした。  

ほぼ毎日、暇があると彼の下宿に通ってたくさんの情報とか旅行の心構えを教えてもらいました。特に参考になったのは、日本から東南アジアに就航している船会社とその就航ルートを教えてもらえたことです。  

初めの頃は、貨客船で働きながらシンガポールとかバンコックへ行くような夢も持ってました。それを相談したところ、一笑に付されました。そんなもの、明治大正時代でもあるまいしあるはずない。船での仕事探しなど組合の関係とか資格の関係でそうは簡単にはいかない、もしそれをクリアーしたとしても条件にあった船を探すのにかなりの時間がかかってしまい現実的ではない。  

そういうわけで、現実的で具体的な方法を計画することにしました。彼は小山海運と言う会社の便を利用しました。香港バンコック経由でシンガポールへいく客船です。  

私の場合は69年に旅行した沖縄をもう一度訪れてから、台湾か香港経由でバンコックへ行くコースをとりたいと思ったのです。しかも安く。そうでないとインドまではとても行けそうには思えませんでした。  

船会社を何件か回ってパンフレットと運行表をもらって、切符の代金を計算しました。沢地くんのおかげで東南アジアの旅行は何とかいけそうです。彼の旅行ノートを写させてもらいました。地図はトレーシングペーパーを使っ て一枚一枚手書きで写しました。市販の地図は、バーソロミュウの東南アジアと 、インドを旭屋で購入しました。少しずつ旅行が形になってきます。  

1970年は私は大学3年生でした。毎日アルバイト三昧のおかげで成績はぼろぼろです。ちょっとがんばらないと4年では卒業できそうもありません。旅行の計画もいいのですが、後期の試験もがんばらねばなりません。

予算は、万博が終わったところでもらった30万円から少しずつお金が減ってきています。極力仕送りだけで日常の生活費をまかなって、旅行費用は30万円のレベルを保とうと思いました。駄目でした。  

ついつい日本橋で細々したオーディオのパーツを買ってきてはステレオを改造していました。コンデンサーとチョークコイルとウーフワを買ってきて疑似3Dシステム作ってみたり、高音用のツゥィーターを買ったり。金残るはずありません。